尾張のおじさんblog

こんにちは 地元名古屋を中心に身近な神社・仏閣、地元の歴史や街並みを紹介していきます

タグ:愛知県犬山市

名鉄小牧線楽田駅から稲置街道を歩き国宝犬山城までやってきた。
今回は「犬山神社」
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参拝客の多い三光稲荷神社、猿田彦神社に対し「犬山神社」を訪れる方は意外に少ない。
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「三光稲荷神社」、「猿田彦神社」から西を見ると「犬山神社」の鳥居は見えています。
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社頭全景。
右に社号標、ニノ鳥居まで構える立派な伽藍を持っています。
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鳥居左に由緒
「祭神 
犬山城主成瀬正成を始め歴代の城主並に明治維新以後の戊辰戦争から太平洋戦争までの戦没者を祀る神社。
創建
犬山城内にあった先祖の霊社を1717年(享保2)、犬山城第4代城主成瀬正幸が丸山新田東の洞、相生山(現   在のモンキーパーク近隣)に遷し相生の宮と称した。
社は霊験あらたかな代々の祈願所だった。
変遷
 この地は犬山城主平岩主計頭親吉の松の丸、丸の屋の屋敷を1665年(寛文5)に移した西御殿があった。
1869年(明治2)犬山藩主庁となったが、1875年(明治8)これを廃し土地を払下げ民有地とした。
 1883年(明治16)相生の宮をこの地に遷して犬山神社に改称し村社とした。
1720年(享保5)新田の内高百五十石を寄進された。
 1948年(昭和23)承認を受け明治維新以後の戊辰戦争から太平洋戦争までの戦没者三七一柱を合祀した」

犬山城は明治の廃藩置県で廃城となった後も取り壊される事無く存続し、1891年(明治24年)の濃尾地震で天守の東南角の付櫓が壊れたため、城の修復を条件に1895年(明治28年)旧犬山藩主成瀬正肥に無償で譲渡された。
 以後は城主であった成瀬家により2004年まで個人所有の文化財でしたが、後に財団法人設立に伴い個人の手から財団の所有となったようです。
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ニノ鳥居から境内の眺め。
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左に手水舎、正面に社殿、右手に境内社が祀られている。
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拝殿左にも祠(詳細は不明)があり、更に左側には砲弾が安置されている。
入母屋瓦葺の妻入り拝殿です。
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社殿全景。
拝殿から切妻平入の幣殿、そこから渡廊が本殿に繋がっています。
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境内左の砲弾。
「忠魂碑」
戦争で犠牲となった方々を英霊として称える目的で各地に建立されたもの。
国や天皇への忠義心を高める目的もあり、戦争を大義とした思想が漂う日本の負の遺産として戦争を考える場所として残していかなければならないもの。
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拝殿右の社は「熱田社」、祭神は熱田大神。
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参拝させてもらいます。
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外削ぎの千木と5本の鰹木が施された本殿。
犬山城の天守からの眺望を楽しんだ後はここ犬山神社へも足を向けるのも悪くはない。
2021/03/29

犬山神社
祭神 /   成瀬正成以降の歴代犬山城城主、戊辰戦争から太平洋戦争までの戦没者371柱を祀る。
創建 / 1717年(享保2)
境内社 / 熱田社
所在地 / ​
犬山市大字犬山字北古券12
公共交通機関アクセス /   名鉄犬山線犬山遊園駅より徒歩15分
関連記事 / ​「三光稲荷神社」と「猿田彦神社」犬山城

前回掲載した針綱神社、その写真の中にも映り込んでいた赤い社殿。
今回は「三光稲荷神社」とその西に鎮座する「猿田彦神社」を掲載します。
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「三光稲荷神社」と「猿田彦神社」は針綱神社の西に隣接しており、三光稲荷神社の社地に猿田彦神社が鎮座しています、こうしてみると三社が一つの様に見えますが其々は独立しているらしい。
とはいえ、三社は参道で繋がり閉鎖的な感覚は感じられません。
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本町通から針綱神社の鳥居を左に進むと隣接するように三光稲荷神社の社頭。
神仏習合で三光寺とも称したが、明治の神仏分離により三光稲荷神社に改称した。
拝殿までは緩やかな石段を上った正面にあり、途中に手水舎、銭洗い神社、猿田彦神社があります。
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銭洗稲荷神社
神水でお金を洗うと増えて戻ってくるとされ、清浄した福銭を持っているだけで一家繁盛、子孫長久になるとされる。社務所で受付しているようです。
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猿田彦神社
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千社札がいっぱい貼られた拝殿
みちひらきの神 猿田彦大神を祀り、建築、方位除け、災難除け、開運、事業発展、五穀豊穣、大漁満足、家内安全、交通安全、海上安全など、多くの御神徳を与えてくれる。
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猿田彦神社左に二社
右手が山之神。
左の虫鹿子守神
馴染みがなくよく分からない、三匹の虫から守ってくれるのだろうか。
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三光稲荷神社拝殿から本殿方向の眺め。
本町通りを進むカップルの大半は正面の針綱神社ではなく三光稲荷神社に向かっていきます。

右の稲荷鳥居を進めば犬山城登城道に繋がっています。
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三光稲荷神社の創建は定かではなく、1586年(天正14)の伝承もあるようです。
もともとは社頭を西側に進んだ丸の内緑地公園(三狐寺山)に鎮座していたという。

古くは信長の叔父織田信康に崇敬され、後に犬山城主成瀬家の守護神と崇敬を受け、天下泰平、五穀豊穣、商売繁昌、交通安全の祈願を祈願し数々の神宝が寄進されたという。
1964年(昭和39)…?、東京五輪の年に現在の地に移築されたようです。
近年は良縁や恋愛成就の祈願に訪れる女性やカップルのスポットになっているようで、境内にはハート型の絵馬で溢れている。

拝殿上に掲げられた奉納額に描かれた狐は、普段見かけるきつい表情とは違い、微笑ましい表情で見つめあう姿は願掛けに訪れる方の目指す姿が現れている気がする。
……そんな頃もあったもんだ。一人より二人がいい、がんばれ。

祭神は宇迦御魂大神、猿田彦大神、大宮女大神。
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拝殿右に安置される「風輦神輿」
由来は犬山城の北を流れる木曽川、その下流の葉栗郡北方村の住民らにより制作奉納されたもので1880年(明治13)に三光稲荷神社に奉納された。
1989年(平成元年)に塗装等修復の手が入れられた事もあり、神輿は美しい黄金色に輝いていた。
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拝殿右に西向きの社が二社あります。
ここにはピンクのハート絵馬が一杯かけられている、写真は右手の社で「三狐地稲荷神社」
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その左は「御縁の松と女陰石」
解説は以下
「三狐地稲荷社御縁の松と女陰石御縁の松は、当社御祭神大宮女神歌舞、音楽の御祖神の御神慮により、遥か5㌔東南の地に吾が神霊をもって、育てられしものなり。
のち此の神庭に移して、あまねく諸人の幸なる良縁・諸願成就を叶え給わる神木をして祭られり女陰石は、この御縁の松の御導きにより、良縁を得られし信者が、さらなる子宝と安産を誓願するために奉献されたもの。
女陰は神秘にして且つ崇高なり。よって皆様方、この御神木を仰ぎ御霊石に触れられいただき、心を込めて御祈願されんことをお伝えします」

左の椥の樹は古くから縁結びに御利益があり、椥(ナギ)の葉を鏡台の引き出しに忍ばせておけば思う人と結ばれ、財布に入れておけばお金の縁が切れないと言われている。
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姫亀神社
祭神は大宮女大神、男女良縁・家内円満・夫婦和合の御神徳があるという。

境内は金運、恋愛、安産などのテーマパークのようだ。
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三光稲荷神社本殿
稲荷鳥居の辺りに来ると流造の本殿が見られる。
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稲荷鳥居を抜け登城道から見る三光稲荷神社。
赤い鳥居と背後にピンクの♡型の絵馬、映え写真の撮影スポットのようですね。

右の社号標は「三光神山稲荷神社」とある、年号を見忘れました。
その後方の鳥居と社号標は「三光稲荷奥の院」で、本殿域には小さな社が鎮座しています。
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犬山城登城道から見る三光稲荷神社。
ここを登れば針綱神社拝殿を右に見て国宝犬山城に続きます。

この登城道には岩坂門、黒門、松の丸門、矢来門、中御門等の礎石が残り、小さな犬山城ですが防御は固かったようです。
城の北側の断崖絶壁にも木曽川に続く門が築かれたようです。
それらの門の一部は一宮市の徳林寺、扶桑町の専修院、犬山市内の常満寺などの山門として移築され現存しているという。
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今回は城には寄らず、登城道を下って猿田彦神社の西に向かいます。
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中御門から西に進むと展望が広がる。
断崖の上に建つ犬山城と下を流れる木曽川、北側からは攻めたくない立地です。
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西方向の眺め、
左手に見える社殿は「犬山神社」
道路の先に見える森が丸の内緑地公園(三狐寺山)、嘗ての三光稲荷神社の鎮座地。

2021/3/9

「三光稲荷神社」
創建 / 不明
祭神 / 宇迦御魂大神、猿田彦大神、大宮女大神
境内社 / 三狐地稲荷神社、姫亀神社、銭洗い稲荷神社、三光稲荷奥の院

「猿田彦神社」
創建 / 不明
祭神 / 猿田彦大神
境内社 / 山之神、虫鹿子守神

所在地 / ​犬山市北古券65-18
公共交通機関アクセス / 名鉄犬山線「犬山遊園」下車、西へ徒歩15分程
関連記事 / 尾張五社 針綱神社

以前掲載した稲置街道の本町道り。
目的だったビールと食を堪能し犬山城方向を目指す。
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背後に犬山城と通りの突き当りに大きな鳥居、最終目的地としていた針綱神社も間もなくだ。
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針綱神社一ノ鳥居から境内全景
右に「尾張五社 針綱神社」の社標。
尾張五社とは、尾張藩士で国学者の天野信景(1661~1733年)が著した『尾張五社略記』に記された尾張国を代表する五つの神社とされ、現在の愛知県、岐阜県に鎮座する熱田神宮、津島神社、千代保稲荷神社(おちょぼさん)、尾張大國霊神社(国府宮)、針綱神社を指すと云う。

しかし、これも諸説あるようで、一之宮(真清田神社)、二之宮(大縣神社)、三之宮(熱田神宮)と国府宮と針綱神社を加えた五社、熱田神宮を外し津島神社を加えた五社等定かではないようだ。
もっとも、そうして意識し参拝してこなかっただけに少し意識してみよう。
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一ノ鳥居からの眺め、鳥居脇に狛犬、正面に反橋があるようだ。
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鳥居右の略記
「針綱神社 鎮座地 犬山市大字犬山字北古券65-1
御祭神 尾治針名根連命(尾張氏の先祖神)、伊邪那岐命、菊理姫命、大己貴命、大己貴命、建筒草命、建稲種命、建多乎利命、大荒田命、尾綱根命」

建立年代は不明ですが、927年(延長5)の延喜式神名帳に尾張国丹羽郡「従一位針綱明神」または「正一位針綱明神」と記されている古社。
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一ノ鳥居脇の狛犬。
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反橋から手水舎。

反橋は1919年(大正8)と刻まれていた。
この傾斜、とても渡れるものじゃない、神様たげが渡れる橋だ。
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手水舎と龍口、注ぐ先は鉢ではなく竹筒だ。
後方の赤い手水舎は隣接する三光稲荷神社のもので、針綱神社に比べると若い参拝者で賑わっていた。
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手水舎から先は境内が一段高くなり、狛犬とニノ鳥居を構える。
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ニノ鳥居の狛犬、1915年(大正4)のもので、一ノ鳥居の狛犬に比べるとベテランのようだ。
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参道はそこから右に曲がり石段を上り社殿に続く。
正面には複数の境内社が祀られている。
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参道正面に鳥居を構える社は上大本町の秋葉社。
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秋葉社の右の境内末社群。
この一画に山神社、杉木霊社、造酒社、大國社、稻荷社、小栗社、御饌社、染甫社、鍛冶社、熱田社・神明社、御建宮社が祀られ、小銭消費ゾーン。
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秋葉社左の境内。
ここから左に進めば隣接する三光稲荷神社、石段を上りまっすぐ進めば犬山城。
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秋葉神社の左に鎮座する市神社、あまり聞きなれないけれど、どうやら津島神社の祭神を祀るようだ。
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金比羅神社。
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多賀神社、この社以外は南方向を向いて鎮座するけれど、この一社だけが東を向いて祀られている。
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境内右の末社群を秋葉神社方向に眺める。
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末社群の左に鳥居を構える針綱天満宮。
多くの境内社があるけれど、創建時期などは分からなかった。
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針綱天満宮の右に三ノ鳥居、その先は本殿方向に石段が続きます。
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針綱神社拝殿と右に八幡社。
「針綱神社の犬
天文6年(1537年)、信長公の叔父、織田信康公が自ら木の犬を彫り当神社に延命長寿、安産を祈願した。
その犬は誠に素朴で良い出来とは言えないが大きな陽物をつけているのが特徴である。
その犬を模して古くから子犬は織田広近(信康の4代前)を模して彫ったとも云われる。
この広近は信康が犬山城を築く68年前の文明元年(1469年)夏、犬山の木ノ下の地に初めて城を築いた人で、非常に活動力の優れた人であったと云う。
この旺盛な力が商売と結びつき、商売繁盛の守護犬として商家に人気があったと云われる。
又、一説には、犬の特徴にちなみ神社に祈願すると良い殿御に巡り逢えるとか。
下半身の病を思わないとか。
犬は安産故、安産、子授、縁結びの守護犬として若い女性に人気があり、厳かに授けられたものと伝えられています。
命の神としても有名で戦のある度、出征する兵士、家族の参拝が後を絶たなかった。」
(針綱神社栞より)
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これが約500年前に奉納されたと云う「木彫りの犬」(写真は栞から引用)
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神紋は三つ巴。
下は拝殿に掲げられた扁額。
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針綱神社社殿全景。
「御由緒 当神社は延喜式神明帳所蔵の式内社で本国貞治本に従一位針綱明神又元亀本には正一位針綱明神とあり、太古よりこの犬山の峯に鎮座させれ、東海鎮護、水産拓殖、五穀豊穣、厄除、安産、長命の神として古来より神威顕著にして士農工商の崇敬殊に厚く白山大明神と称えられる濃尾の総鎮守でありました。
中古織田信康公、市内木の下城を社地に移築せんと後奈良天皇の宣旨を蒙り、天文6年(1537年)8月28日、白山平(お城の東方にあるお山)に遷座し奉った。
爾后69年を経た慶長11年(1606年)4月8日更に市内名栗町に遷座し奉り、城主成瀬氏代々の祈願所でありました。
明治維新の後、同15年(1882年)9月28日名栗町の座地より天文6年(1537年)迄座地であった現在地に御遷座になり、戦前は県社とし戦後は宗教法人針綱神社(尾張五社のひとつ)として近隣の崇敬を集める。」
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上、白馬
本殿西側に祀るこの白馬は古くから子供の守り神として霊験あらたかと云われ、お馬さんにお供えした豆を頂くと歯ぎしり、ひきつけが治ると伝えられおり、願い事の叶うお馬さんとして信仰されている。
下、愛宕社
燈籠は1829年(文政12)のもので竿には子孫の福を願った銘文が刻まれている。
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ニノ鳥居から本町通を振り返る、人の流れは三光稲荷神社に向かう姿が大半でした。
訪れたのは3月9日、この時期は境内の梅と木曽川沿いの河津桜が見頃だった。
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針綱神社
創建 / 不明
祭神 / 尾治針名根連命、伊邪那岐命、菊理姫命、大己貴命、大己貴命、建筒草命、建稲種命、建多乎利命、大荒田命、尾綱根命
境内社 / 秋葉社、山神社、杉木霊社、造酒社、大國社、稻荷社、小栗社、御饌社、染甫社、鍛冶社、熱田社・神明社、御建宮社、石神社、金比羅神社、多賀神社、針綱天満宮、八幡社、愛宕社
所在地 / ​犬山市大字犬山字北古券65-1
公共交通機関アクセス / 名鉄小牧線「犬山遊園駅」から​西に徒歩15分程
関連記事 / ​本町通り

稲置街道 「旧堀部邸と不明社」からの続きになります。
おやじの燃料計は警告灯が点滅している、いよいよおやじ待望の本町通。
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ここまで歩いて来た稲置街道は本町通り中ほどから一本東を平行し北上、新合瀬川を渡り木曽川方向へ続いていきますが、ここは街道は置いといて燃料補給のため直進。
それまでの通りとはうって変わって人通りが多くなります。
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本町通り
1㌖に満たない通りですが、地域の活性化を目的として情緒ある犬山城下を再現したもの。
沿道には食欲をそそる店や土産店、古くから続く酒蔵など軒を連ね、人が集中するところでもある。
時期が卒業シーズンだったこともあり、若い衆が多い。
普通なら卒業旅行に海外や遠方へ・・・・・と行きたいところだろうがこんな世の中ではそうもいかん。
記録に残る時代に節目を迎えたことを前向きに捉えるしかない。
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老い呆け来ず地蔵(元気地蔵)
縁起には
「おぼこ地蔵といけず地蔵、ふたつあわせて「老い呆け来ず」
二体の像は人の内面の善と不善を表し、頭にはちまきを結び「元気長生き、縁結び、安産、この成長」を祈願しています」
とあり、左がおぼこ地蔵で右がいけず地蔵で、詩画書作家の城たいが氏の作で京都市役所前のゼスト広場に設置されているという地蔵の原像だそうな。
所在地 / 犬山市西古券62
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どんでん館
犬山祭りで使用される車山の実物や衣装が展示され、名称の「どんでん」とは犬山祭の車山が城下町の辻で180度方向転換する様から「どんでん」と事から名付けられているらしい。
犬山祭(毎年4月、第一土日開催)では13輌の車山(やま)が曳かれ、ユネスコ無形文化遺産に登録されていて、どんでん館にはそのうちの4輌が展示されているという。(入館は有料)
所在地 / 犬山市犬山東古券62
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犬山牛太郎
飛騨牛にぎりのお店、どこに行っても「牛の握り」と聞くと引き付けられる。
列に並んで手にするだけに尚更おいしく感じるか。
所在地 / 犬山市犬山東古券70
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森のマルシェ
多様な店舗が入っていて何を食べるか迷うスポット。
間口は狭く、うなぎの寝床の様で奥にテーブル席のある広場がある。
ここの二階はウッドデッキのオープンテラスになっていて、十分な間隔を保ってテーブル席があり、解放感満載の中で美味しいお酒が味わえる。
所在地 / 犬山市犬山西古券21-2
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さあ、ここまで歩いてきたご褒美だ、燃料補給といこう。
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壽俵屋 犬山庵 
醤油おこげ串にかみさんが捕まる、串にやきおりぎりと守口漬けがサンド、チビ太のおでんのように見える。上の焼おにぎりは必ずハート形ではないらしい、ハート型は当たりらしい。
おこげと守口漬が相性がいいのを初めて知った、おいしい。
所在地 / 犬山市犬山西古券15
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犬山ローレライ麦酒 
食べ歩きしながら再びこちらで燃料補給。
左はローレライ麦酒「スタウト」、右が地元の酒小弓鶴の上撰。
みりんのような不思議な味わいだった、もれなく黒豆付きなのがうれしい。
犬山市大字羽黒字成海郷70番地にある小弓鶴酒造の犬山ローレライ麦酒館ではビアホールもあり、予めRVパークを予約しておけば帰りの心配は不要、腰を据えてじっくり味わえる。
丸の内店所在地 / 犬山市犬山北古券7-5 
犬山ローレライ麦酒館 /  犬山市大字羽黒字成海郷70番地
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「本町通り」の街並みも間もなく終わり、正面に犬山城も近づいてきました。

2021/03/09
関連記事 / ​犬山市南古券『旧堀部住宅と不明社』  ​名鉄小牧線沿線 春を探しに25,000歩

稲置街道沿いの神護山先聖寺と境内の外町天満宮を後に犬山城に方向へ。
時間にして2~3分程歩く、街道左側に下の写真の様な建物を見かけ寄り道。
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稲置街道から一筋東に入ると切妻瓦葺二階建ての黒い板張りの外壁に白壁がシックな建物と玄関先に白い砂利が敷かれた箱庭が視線を引く。
母屋の周りを見て廻ると庄屋さんの自宅の様に見えます。

「旧堀部家住居」
堀部家は代々犬山城主成瀬家に仕えた士族だそうな。
この母屋は棟札に1883年(明治16)と記されているようで、当時の堀部勝四郎が施主だという。
母屋の他に離れ座敷、渡廊、土蔵、作業室(蚕室)、高塀があり、2006年(平成18)に登録有形文化財に指定されているようです。

当日は「冬季休館」の看板が置かれていたので中まで入っていませんが、HPの写真など見る限り庭園などもあり、農とは少し離れた武家屋敷の流れを受け継ぐ様式。
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坪庭
人の頭ほどの小さな岩、それを取り囲む様に苔が植えられ、その周囲は白砂利が敷き詰められている。
今頃は岩の周りの苔も瑞々しい緑に変っているでしょう。
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入口の解説
この施設はNPO団体により管理運営され無料で内部を見て廻れ、解説などもしてくれるようです。
冬季閉館、コロナ禍の影響で閉館する場合もあるようなので、訪れる場合は確認した方がいいかもしれません。
木之下城伝承館・堀部邸
所在地 / 犬山市南古券272
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堀部家住宅の北向いに猪ノ子町公民館があります。
その裏に赤い鳥居を見付け立ち寄ってみた。
公民館の右横から裏に回り込むと確かに赤い鳥居はあるけれど、鳥居をくぐるには公民館裏口の僅かな隙間から横入りして鳥居をくぐるような感じ。
なんだか公民館裏口から直接鳥居をくぐるような鳥居の位置関係。
公民館の正面には以前は燈籠の台座らしき跡があり、公民館が出来る以前は真っすぐに堀部家前まで参道があったような、そんな気にさせる。
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赤い鳥居と赤い玉垣で囲まれた小さな社、社号標はなく鳥居に額はない。
個人的には赤と云えば稲荷か天王社だろうと勝手に推測するけれど、そうとも云えず自宅で調べて見てもすっきりする情報は見つからなかった、不明社としておこう。
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二段に盛られた本殿域に板宮造りの社が祀られていて、狛犬や狐は見かけなかった。
この社を守護するのは公民館かもしれない。
この後方はコイン駐車場になっていて、そこに駐車すると赤い鳥居と社は一目で分かるのでは。
詳細は分からないが取り敢えず参拝させてもらいました。
後日何か分かれば改めて追記させてもらいます。

不明社
所在地 / 犬山市南古券327(旧堀部家北側)
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旧堀部邸から数分も北に歩けば、街道の面影が僅かに残る街並みから一転し両サイドにビルが立ち並び、その先の本町交差点まで道幅は急に広くなります、交差点を横切る通りは県道183号線です。
この本町交差点を越えると再び街道の香り漂う街並みに戻り、それと共に人波がみえてきます。

遅い昼ご飯、時間は既に14時を回っている、お楽しみのビールと酒もあと少しの辛抱だ。

徒歩ルート / ​先聖寺門前から稲置街道を北へ2~3分程
関連記事 / ​犬山の唐寺 『神護山先聖寺』​ ​『外町天満宮』

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