尾張のおじさんblog

こんにちは 地元名古屋を中心に身近な神社・仏閣、地元の歴史や街並みを紹介していきます

タグ:愛知県西尾市

西尾市平坂町熊野 『平坂熊野神社』
三河一色諏訪神社から車で国道247号線を北上、県道383号線の平坂港東交差点を右折、200㍍程直進した左側の平坂熊野神社の参拝者駐車場に到着。諏訪神社から20分程の移動時間。
1
熊野神社境内全景。
この広い境内の一部が駐車場、パーキングの心配なしに安心して参拝が出来る。
2
正参道の鳥居全景。
石の明神鳥居と左に由緒書きがあります。
3
鳥居に掲げられた「熊野神社」扁額。
4
由緒書き
熊野神社
祭神 / 伊邪那美神命 速玉之男神 事解之男神
由緒 / 弘治二年、当地開拓の際、羽塚村より遷座し鎮守神として祀る。明治五年10月村社に列し、同四十年十月神饌幣帛料供進社に指定。

弘治二年は1556年にあたる、道三が長良川で討死、明智城が落城するなど目まぐるしく動いた戦国の時代にあった。その年に現在の鎮座地から少し東の羽塚村から遷座したという。
創建が定かにならない歴史のある神社。
5
境内は南北に広い社地を持ち、駐車場のある南側にニノ鳥居と手水舎がある。

そこから一段上がって本殿域が広がります。
6
ニノ鳥居、石造りで控え柱の付いた両部鳥居。
そこから緩い石段を上った先が拝殿。
7
正面に拝殿、右に神楽殿、拝殿左に末社が見える。
8
境内右に玉垣で囲われた1本の木がある、若い木のようですが、これ御神木だろうか。
9
石段を上がった右側に伊勢神宮遥拝所。
石の神明鳥居と灯篭もあり、遥拝所としては立派じゃないだろうか。
この先がお伊勢さん方向。
10
境内右に高床で入母屋瓦葺の見るからに新しい神楽殿。
2019年、津島社とともに建て替えられたもの。
11
境内左に社務所とくまの会館。
12
境内正面に目を向ける、こちらも綺麗な拝殿です。
入母屋で破風が施された向拝の付く拝殿は重厚感のある佇まい。
左に流造の末社、右にも切妻の社殿があります。
13
拝殿斜景。
2014年、約150年ぶりに本殿遷座祭が執り行われ、拝殿もそれに伴い建て替えられたもの。
この拝殿、人目を引くオラオラ感満載の光輝く飾りはないけれど、棟瓦から始まり、向拝下の透かし彫りや木鼻等至る所に龍が描かれている。こうした拘り方の建物は見ていても楽しい。
14
拝殿前の狛犬。
リフレッシュされた伽藍の中、一番キャリアを持っているかもしれない。
奉納年を見忘れたけれど、建て替えから7年程でこの貫禄はないだろう。
15
向拝の龍達。
16
木鼻の龍は迫力があり、斗供の手先構造や飾りにしてもコンクリートにはない作り手の拘りが伝わってきます。
17
ここにも。
18
熊野神社扁額。
祭神は伊邪那美神命、速玉之男神、事解之男神
伊邪那美神命は古事記・日本書紀の記述によれば、伊邪那岐命夫婦の契をかわし、日本で初めて男女の結婚の道を興された「むすびの神」として崇められ、親・兄弟・親類・友人・同僚・隣人等、全ての人達とも、仲良く結び合っていけるよう導いて頂ける神さまです。

外観の飾りに見惚れていると神職の方が外から戻られ、「拝殿の天井絵も是非見てほしい」とわざわざ扉を開け中まで案内してくれました。
19
写真撮影のお許しを頂き拝殿内と天井絵を撮らせて頂いた。
木の香漂う新しい拝殿は当然ながらピカピカです。
これから年を重ねるごとに木の表情は一層深みを増していきます。
拝殿内の両脇に御神体を守護する木像の右大臣、左大臣が安置されています。
20
格子天井の中央に雲竜図が描かれ、こちらを睨む龍の視線がある。
21
荒々しい龍に見えますがタッチや彩色はとても繊細に描かれています。
淡い色合いや線が出る様に写真は少し強調していますが、それでも実物の味わいとはかけ離れているようです。実物を是非ご覧ください。
さて、この天井画には「八咫烏」の隠し絵が施されています。
熊野神社の神紋「八咫烏」はどこに描かれているでしょう。
一番最後に拡大写真を貼っておきます。
22
拝殿右の切妻の社殿は津島社。
2019年の神楽殿建て替えとともに新たに建て替えられたものです。
木の色合いはまだ〃新しい。
23
津島社の狛犬も2019年の新米という事はないだろう。
阿形の表情はにこやかに笑ってないかい。
24
津島社扁額。木の香が伝わってくるようだ。
25
板宮造りで高欄が付いた津島社本殿。
ここまで綺麗だと参拝していても気持ちがいいものです。
26
拝殿左の末社。
これらは近年の建て替えの対象ではなかったのかな、若干年季が入っているようです。
27
流造の三社。
右から神明社と御嶽社の相殿、中央が猿田彦社、左が秋葉社と多度社の相殿。
28
末社から更に左に向かう参道があり、そこにも鳥居が建っていた。
00
さて「八咫烏」見付けられたかな、神の使いはここに描かれています。
2021/1/15


平坂熊野神社
創建 / 不明 1556年(弘治2)羽塚村より遷座
祭神 / 伊邪那美神命、速玉之男神、事解之男神
境内社 / 津島社、神明社、御嶽社、猿田彦社、秋葉社、多度社
住所 / 愛知県​西尾市平坂町熊野45
三河一色諏訪神社から車アクセス / 国道247号線を北上、県道383号線「平坂港東」交差点を右折、200㍍程直進した左側、​所要時間20分程

関連記事 / 境内狭しと大提灯が吊るされる「諏訪神社」

西尾市一色町「諏訪神社」

三河一色と聞いて最初に思い浮ぶのが「うなぎ」、「抹茶」だろうか。
夏の風物詩とも云える「三河一色大提灯まつり」、直接目にした事はなくても、耳にしたりTVで目にした事があると思います、この祭りが行われるのがここ「諏訪神社」。
昔のままに和紙で作られた6組12張りの大提灯、目にも鮮やかな色彩で描かれた絵模様は美しいものがある。
陽も落ち、大提灯に火が入れられると幻想的な光景が広がります。
00
上は一色町一色東前新田の「一色まなびの館」に展示してある「三河一色大提灯」のレプリカ、右は祭が行われている「諏訪神社」のミニチュア。
境内を埋める様に吊るされた提灯とその傍らの人からその大きさがイメージできると思います。
提灯を吊るす覆屋根付きの柱を立てるのも、大きなものは5㍍×10㍍もある提灯を吊るすのも全て氏子たちの手により行われます。
1
諏訪神社境内全景。
こうして訪れるとあのミニチュアは良く出来ている。
手前の道路は多少違いがあるようですが、これは2001年から始まった道路拡張工事によります。
拡張は神社にも影響を与え、社殿等は境内奥に曳家されたようです。
2
社地の縮小は反面で拝殿、本殿等の主要な建物以外の社務所や付随する建物の新築に繋がったようで、とても綺麗な印象を受ける。
この石の明神鳥居はその工事後に新たに建てられたもの。
それでも参道の先に見える拝殿までの距離は結構遠い、提灯を献灯するのにこの空間が必要なのだ。
3
新しい中に歴史を語る古いものが点在する。
黒ずんだ狛犬の台座に刻まれた年号は安政6年(1859)と刻まれています。
彼らも影響を受けたのかナ、台座下の石積みなどは新しいものです。
4
狛犬は角付きのもの。
石工で有名な岡崎もそれほど遠くはないけれど、良く見かける岡崎現代型と呼ばれるものや某大国で作られたものに比べると、素朴な容姿は哀愁すら漂う。
5
鳥居左に諏訪神社由緒書きと一色の大提灯の解説。
6
手水舎。
コロナ禍の今、龍はお休みのようだ、注いでいたとしても清水は鉢を満たす事はないのだろう。
見慣れた光景になってしまった。
7
境内右に大提灯の保管庫が立ち並んでいますが、その左に二つの社殿があります。
8
右側の瓦葺入母屋造の落ち着いた外観の建物が「龍宮社」拝殿。
祭神は市杵島姫命、田心姫命、湍津姫命(航海安全・水難消除の神)、大綿津見神、大海神
創建など詳細は不明、木質感漂う素朴な外観同様扁額もシックなもの。
9
「龍宮社」本殿。
神明造の本殿を守護する狛犬はいないようだ。
いや、よく見るとちゃんといました、狛亀です。
10
龍宮社の左の瀟洒な社殿は「三社拝殿」
こちらも創建等は不明、祭神は以下。
天満社
菅原道真(文道・学業の神)
下諏訪社
八坂刀売命(主祭神建御名方命の妻神で安産の神)
秋葉社
火之迦具土神(鎮火・防火の神)
11
「三社拝殿」の西側に社務所、諏訪神社拝殿が並ぶ。
手前が新しくなった社務所。
下は遥拝所
この向きで拝むのだから右の幟も考えると伊勢神宮か橿原神宮の遥拝所かと思います。
玉垣の紀元二千六百年記念は神武天皇即位から紀元2600年にあたったのが1940年(昭和15年)だったことから、それに伴いこちらにも建てられたのだろう。
左にさざれ石がある。
no title
「諏訪神社拝殿」と「五社拝殿」全景。
手前の玉垣で囲われた部分が旧本殿があった場所、随分と西に引いた事になります。
12
銅燈籠の先に瓦葺入母屋造の「諏訪神社拝殿」
創建は第106代正親天皇の御代、1558~1570(永録年間)とされる。
当時、鎮守の神を持たなかった一色の地に守り神を祀りたいと村人たちが考えていたという、そんな折に日本の六十六ヵ所の霊場に法華経を納めていた行者が訪れ、信濃の諏訪大明神の御分霊を請け、捧持し祠を建て祀ったのが神社の始まりだいう。
現在の拝殿がいつ頃改修されたのか不明ですが、平入の前面にガラスが多用され明るい印象を受けます。
000
銅燈籠。
なかなか立派で、印象に残ったのでクローズアップ写真を撮ったはずですが、データが見つからない。
13
上は拝殿前の解説。
大黒様で知られる大国主命の第二子神で豊葦原の中津国の弥栄を基礎づけられた建御名方命を祀る。
天孫降臨に際し、瓊々杵尊に国土を譲り、信濃国諏訪の地に退き、八坂刀売命と共に諏訪の国土開発に力を尽くしたとされる。
農耕・機織を奨めたと云う、武勇・力持ちの神、開拓、耕作・雨乞い・狩猟、海上航行、厄除け、商工業の神と言われています。

下は僅かに開けられた引き戸の先に、金色の御幣と神紋の「梶葉紋」が見て取れます、諏訪大社の神紋が三本梶、神紋からも諏訪大社との所縁が見て取れます。
14
拝殿の彫飾りは彩色はされていないけれど、龍や木鼻の獏など躍動感がある、宮大工のこだわりかな。
15
拝殿側面からの眺め、神紋は軒丸瓦にも描かれています。
下は「諏訪神社本殿」
檜皮葺の流造で、擬宝珠が付いた高欄が施され拝殿から幣殿を経て繋がっている。
本殿域の銅燈籠には金色の神紋が施されている。
16
「五社拝殿」
神明社 / 天照大御神 / 国民の総氏神 
津島社 / 素盞嗚尊 / 疫病鎮護の神
御鍬社 / 玉柱屋姫命・伊佐波止美命 / 農業の守護神 
稲荷社 / 宇迦之御魂神 / 商売繁盛、福徳円満の神 
琴平社 / 大物主神 / 海難防護・雨乞いの神 
17
入母屋銅葺屋根の新しいもので遊びのないきっちり作られた建物。後方が本殿。
傍らに「金的中」の奉納額、夏の祭礼ではここで奉納射会も行われるようです。
矢場があるの?と見渡してみたが今一つ見付けられなかった。
18
上は「三河一色大提灯まつり」で提灯を吊るす柱を保管する倉庫。
下は「五社拝殿」から鳥居方向の境内を眺める。
これら収蔵庫には「三河一色大提灯まつり」で吊るされる大提灯が保管され、この広い境内が狭く感じるほどに吊るされる。
0000
この祭りの始まりは450年前に遡るようです。
発端は当時のこの地の海には人畜、農作物を荒らす悪魔がいて、諏訪神社の神前に篝火をたいて祈祷をしたところ、それ以降、悪魔は現れなくなったという。
篝火は江戸時代初期の寛文年間(1661~1672)頃から提灯に変り献灯するようになり、江戸時代中期には提灯に鮮やかな彩色の絵模様が描かれ、大きさを競い合うようになっていったそうです。
遂には西尾藩から「ほどほどに」と通達も出されるほどだったようです。
現在の三河一色大提灯まつりはこの時期の姿を受け継いだもの。

昨年はこのご時世で中止になったようです、今年はどうなんでしょう。
今年の夏は自由な時間が取れそうなだけに、再び二人で訪れて見たいが。
それまでに巷に潜む魔物が退散してくれればいいのですが。

諏訪神社
創建 / 1558~1570(永録年間)
祭神 / 建御名方命
境内社 / 神明社、津島社、御鍬社、稲荷社、琴平社、天満社、下諏訪社、秋葉社、龍宮社
三河一色大提灯まつり / 毎年8月26日・27日
住所 / 愛知県西尾市一色町一色宮添129
関連記事 / 郊外の空気を思いっきり吸いに出かけてきました​ 、​西尾市吉良町 蛭子社  、​建稲種命終焉の地「幡頭神社」

「幡頭神社」
西尾市の南端、三河湾に突出するように岬がある、以前掲載した蛭子社が鎮座する蛭子岬です。
幡頭神社は蛭子社から海岸沿いに2~3分も歩けば参道口に至ります。
車は恵比寿海水浴場の駐車場に駐車すると近隣の迷惑にならないかと思います。
1

目印になるのは右手の郵便局「吉良宮崎郵便局」と後方の大きな松。
参道口はその左にあり、そこから正面に見える小高い山の頂に参道が伸びています。
右手には幡頭神社の石標も立っています。
2
参道は途中から石段に変り、その先に一ノ鳥居が見えてきます。
3
一ノ鳥居までくれば坂はこれで終わり、右手に「式内幡頭神社」の大きな社号標があり、そこからニノ鳥居まで石畳が真っすぐに続きます。
4
社号標の影に隠れる様に古い「延喜式官社 羽豆神社」の社号標。
「幡豆」「幡頭」「羽豆」・・・・・やっかいだ。変換がうまくいかない。
5
ここまで登り南に視線を向ければ手前に吉良宮崎港と三河湾、その先に西浦方向を一望できる。
スカーンと晴れれば対岸もクッキリと見えるのだろう、生憎当日はこんな感じで霞んでいました。
6
鳥居から先の境内です。
参道は二手に分かれ、左に稲荷社、右にニノ鳥居。
7
大きな注連縄が吊るされたニノ鳥居をくぐれば境内。
正面に入母屋瓦葺の拝殿、右手は社務所。
8
ニノ鳥居「正一位幡頭神社」扁額。
9
境内左に神馬舎と手水舎、その奥は稲荷社。
10
幡頭神社拝殿。
左右に由緒碑や解説板が置かれ、石灯籠から先の拝殿、本殿は玉垣に囲われ、拝殿前に狛犬の姿もあります。
11

幡頭神社社伝抜粋

幡頭神社本殿、神明社本殿、熊野社本殿解説。
どれも重要文化財に指定され、ここではそれらを遮るものなく間近で見ることができる。
12
拝殿前を守護する狛犬。
一部に薄化粧され、阿形の歯並びの良さは羨ましい限りだ。
13
拝殿を斜めから眺める。
素木で彩色や彫飾り、飾り金具を排した素朴で落ち着いた外観。右手の社務所から廻廊で結ばれている。
14
拝殿に掲げられた額は「幡豆神社」
祭神は建稲種命、合祀は大物主命・誉田別尊を祀る。
由緒は古く、702年(大宝2)の創建と伝えられる式内社。
祭神の建稲種命は東征の勅使を受けた日本武尊の旛頭の役を勤めたが、東征の帰路駿河湾で遭難、蛭子岬に遺体となって宮崎海岸に漂着したという、遺体は村人によりこの地に葬られたという。
それが神社の始まりとされるようです。
以来この地は幡頭といい、幡豆と書くようになったそうです。
足利尊氏、今川義元が参拝したとも伝わる。
15
参拝を済ませ、拝殿左側に回り込むとそこに檜皮葺の本殿が並んでいます。
写真の左が熊野社本殿。
入母屋檜皮葺の妻入で正面に向拝、両側面に脇障子が付けられた春日造りに似た造り、八咫烏の姿は見かけなかった。
建立時期は定かではないようですが、幡頭神社本殿と懸魚などのデザインが似ている事から同時期と云われているようです。
祭神 / 伊邪那美神、速玉之男神、事解之男神
16
熊野社本殿の右が幡頭神社本殿で右に見えているのは神明社本殿。
幡頭神社本殿は1580年(天正8)に再建されたものとされ、桃山時代の優れた建築として国の重要文化財に指定されている。
屋根は大きく反り返った曲線が美しい桧皮葺きで、丸柱とそれを結ぶ長押、虹梁などは太くて力強さがあり、直線的な虹梁の絵様が小さく、蟇股の内部の彫飾りも素朴な作り、シックな佇まいをしている。
正面から側面に擬宝珠高欄(ぎぼしこうらん)が施された廻縁があり、両側面に脇障子が施されている。
祭神 / 建稲種命
合祀 / 大物主命・誉田別尊
17
普段は本殿の蟇股の彫や虹梁などなかなか近くで見られないものですが、ここは間近に見ることができる。
18
幡頭神社本殿右にある神明社本殿。
こちらへは熊野社の裏からか、社務所側から回り込むことが出来ます。
18.5
拝殿右手の社務所、ここから左に進むと本殿右の神域に続きます。
22.5
幡頭神社本殿と両脇の三社が横一列に佇む姿は落ち着いて調和がとれた美しい趣がある。
この他に境内社として二社が祀られています。
19
一番右手に銅葺屋根の「山住社」
大山積命を祀っているのか?詳細は分かりませんでした。
20
「神明社本殿」
檜皮葺の流造で各部の装飾は幡頭神社本殿と通じるものがあり、こちらも建立時期は同じ時期とみられる。祭神 / 天照大御神
21

神明社本殿の左奥に「伊勢神宮」
22
拝殿左の銅葺屋根の社は龍神社、瓦葺の建物内には複数の社と祭礼で使われる神輿が保管されています。
23

内部正面右から秋葉神社、津島神社、金刀比羅宮、石清水八幡宮の四社が祀られています。

大きさは子供神輿だろうか、飾り金具は手が掛けられている。
24
境内の稲荷神社、入母屋瓦葺の堂までは多くの奉納幟と鳥居が連なる。
25
奉納鳥居が続く朱色の空間を進みこちらにも参拝。
太からず細からず、適度な容姿の狛狐が堂を守護しています。
こうして纏めている時に気が付いた、正面の写真を撮り忘れていたようだ。

これで境内はひと回りした・・・・・はず。
檜皮葺のシックな本殿を間近で見ることも出来、十分に満足できた。
26

上は社務所から南の眺め、建稲種命の終焉の地となった宮崎海岸と三河湾が一望できる、

鳥居の先は進発の地となった知多半島、目と鼻の先です。
2021/1/15


幡頭神社
創建 / 702年(大宝2)
祭神 / 建稲種命
合祀 / 大物主命、誉田別尊

熊野社
創建 / 不明
祭神 / 伊邪那美神、速玉之男神、事解之男神

神明社
創建 / 不明
祭神 / 天照大御神

境内社 / 山住社、伊勢神宮、龍神社、秋葉神社、津島神社、金刀比羅宮、石清水八幡、稲荷神社

住所 / ​西尾市吉良町宮崎宮前60-1
名古屋から車でのアクセス /   国道23号線⇒西尾東IC県道383号線⇒高河原交差点左折県道310号線⇒善明交差点右折国道42号線⇒新木田交差点左折県道317号線⇒鳥羽橋交差点左折国道247号線⇒鳥羽交差点右折県道316号線⇒吉良観光ホテル手前を左折⇒恵比寿海水浴場方向、 ​所要時間1時間45分​ 
関連記事 /  ​蛭子社​ 

西尾市吉良町 蛭子社

息苦しい街の空間、そんな毎日の繰り返しが続いている。
時には外の空気を腹いっぱい吸いに名古屋から下道を走って二時間ほど、かみさんと二人で久しぶりに郊外に出かけてみた。
ポンコツナビとかみさんの指示に導かれ吉良町までやってきた。

久しぶりの海、久しぶりの吉良海岸、若かりし頃に慰安旅行で訪れて以来かもしれない。
当時は温泉街もそれなりに活気があった、今は当時の活気に満ちた温泉街の印象とは程遠い。
1
写真は吉良海岸の恵比寿海水浴場の眺め。
砂浜の先に弧を描くように堰堤が続く。
季節外れの砂浜に釣り人の姿がポツンと見える程度、この空間に密など存在しない。
潮の香りと静かに打ち寄せる波の音。
気が許せない普段の生活から解き放たれリラックスできる。
2
恵比寿海水浴場の西外れ、というか堰堤の付け根に松の生い茂る馬の背のような小高い高みがあります。
海側に高みに続く石段があり、その先に神明鳥居があります。
ここは恵比寿海水浴場にある『蛭子社』。
3
石段を上ると馬の背沿いに赤い幟が立ち並び、参道は奥の小さな社へ続いています。
4
松並木の参道にはえびす社と書かれた赤い幟が海風にたなびいています。
5
参道右側にいかにも海らしく錨とスクリューが飾られています。
そこの案内板によれば、「昭和34年(1959)、9月21日に超大型の台風15号がこの辺りを通過。
それは甚大な被害をもたらした伊勢湾台風と名づけられ、当時の新聞の記録には15号台風で吉良町宮崎海岸に座礁した松岡汽船の松隆丸は座礁したまま救援を待っていたが、松隆丸の船内にある野菜・肉類など乗組員の三ヶ月分の食料を被災した地元被害者のために放出し、地元の人々から感謝されたという。」

この錨やスクリューは恰も松隆丸の物のように見えますが、よく見ればこの逸話とは無関係な船のものでした。
6
参道の突き当りの入母屋瓦葺の拝殿、後方には平入で切妻瓦葺の本殿を収めた覆殿が一体となっています。
7
シンプルな懸魚と大きめの鬼瓦、そこには鯛を抱えてにこやかに笑う姿がある。
祭神は事代主神、迦具土命、須佐之男命
創建は1585年(永禄8)と見た目以上に長い歴史をもっている。
社伝によると1580年(永禄3)に今川義元が巡遊の際、当地は耕地が少なく、漁業で生活するもの多いことから、漁業の祖神西宮大明神を祀るようにと云われ、1585年(永禄8)に蛭子神が祀られたされる。
1913年(大正2)に近隣の秋葉社と津島神社を合祀したという。
永禄3年は桶狭間の合戦で今川義元は信長に討たれた年、その年に義元はこの地へ巡遊していたという。
余裕たっぷりの義元、よもや、よもやの結果が待っていようとは。
8
拝殿から鳥居の眺め、正面も右手も海だ。
海に向け突き出るように伸びる高みは恵比寿(蛭子)岬の由縁かもしれない。
堰堤が築かれる以前はこの小さな岬が堰堤であり、風よけの役割を持っていたのだろう。
9
参道から左に駐車場に続く小路があり、駐車場から見た社殿。
小高い高みから海に向かい鎮座する「蛭子社」、海を生業にする者の守り神の姿が漂う。
10
蛭子社の横はすぐに駐車場、今は静かに佇む神社の姿も海水浴シーズンの時はどうなんだろう。
水着姿の若い参拝客で賑わうのだろうか?、いかん〃煩悩が目覚める。
11
恵比寿岬から「吉良ワイキキビーチ」の眺め。
この時期は夏場の賑わいとはかけ離れた静かな光景が見られる。

「蛭子社」
創建 /   1585年(永禄8)
祭神 / 事代主神、迦具土命、須佐之男命
住所 / ​西尾市吉良町宮崎宮11
名古屋から車でのアクセス /   国道23号線⇒西尾東IC県道383号線⇒高河原交差点左折県道310号線⇒善明交差点右折国道42号線⇒新木田交差点左折県道317号線⇒鳥羽橋交差点左折国道247号線⇒鳥羽交差点右折県道316号線⇒吉良観光ホテル手前を左折⇒恵比寿海水浴場方向、 ​所要時間1時間45分

↑このページのトップヘ