滋賀県彦根市佐和町
JR彦根駅から駅前お城通りを眺める、
正面に護国神社と更にその先には彦根城の姿が見えます
大師寺は駅から西に約5分程歩いた佐和町にある小さなお寺です
藩政時代には上瓦焼町と称ばれた辺りに鎮座します
昔ながらの狭い道路脇に山門があり、赤い幟がはためいているのが見えてきます
滋賀県では数少ない真言宗のお寺で、
彦根駅に近い事から「駅前の弘法さん」として親しまれています
山門左には小さな堂
地元の方でしょう、通りすがりにお参りをされる光景が目に入ります
身近に根付いた存在なのが良くわかります
大師寺正面から境内の眺め
境内に入ると目の前に本堂、右に寺務所の配置です
山門左の寺号標と提灯
この紋はどこか見覚えがあるのですが・・・・・思い出せない
右側には由緒書きが掲げられています
「寝弘法」と「不動明王」にお目にかかりたい、それがこちらを訪れた理由でもあります
山門をくぐると左に地蔵が纏められ、その奥に由緒の記された石碑が建っています
手水舎
絶え間なく注がれる水盤、七福神に見守られ日頃の穢れを清める事にします
水盤にも紋が・・・・
手水舎の左に小さな祠
本堂左脇の七福神像
「彦根一箇所七福神」と呼ばれ七福神全てが勢揃い
四国八十八ヶ所の砂踏みがあり、
歩いて行けばお手軽に八十八番までのお遍路が完結し願いが叶うもの
本堂正面
遍照金剛と彫られた扁額
堂は扉が閉ざされ、堂内の寝弘法さんとは会えないのか・・・・・
しばらく写真を撮っていると、法要から戻られた住職に
「中に入って寝弘法さんを見てれば良かったのに」と声掛けを頂いた
・・・・・開いていたのネ
では、という事で堂内に、ほどなく住職もお越しになりお話を聞くことが出来ました
正面にはこちらを向いて横になるブロンズ製の弘法様とご対面
堂内は正面に煌びやかに輝く弘法大師像
大師像の右の脇仏「開山真浄法尼像」が祀られています
1931年(昭和六)、一人の女性が僧に草鞋(わらじ)代を喜捨したことがこの寺の始まり
その後、女性は霊験を得て仏門に入り大師寺を開山
法号は真浄法尼、当時彦根に真言宗の信徒は少なく、
弘法大師の霊徳を知る者は殆ど無い中、92歳で入寂するまで多くの衆生済度の修行を実践、
彦根における弘法大師信仰発祥の寺院として今日に至る
この像は最後の仏師とも呼ばれた西村公朝の作(香積院天井画)で、この像を見に弟子も訪れるそうです
左の脇仏が「波切り不動明王」作者は不明ですが江戸時代に作られたものらしい
しばらく座って脳裏に焼き付けていると、住職から「写真を撮っても構わない」からとのお言葉
「えっ?普通はお断りが多いのですが」
「うちは多くの方に寝弘法さん知ってもらって訪れて欲しい」とか
「なんでこんな小さな寺にきたのか?」の問われ
「観光化された寺社より小さな寺社が好きだから」と答えると
「最近訪れたイギリスの方もあんたと同じような事言ってはったワッハハ」
愉快な住職とお話しする事を目的にして訪れるのもいいかも
住職の説明から
「寝弘法さん」の頭の部分には京都東寺よりお分けいただいた「お舎利さん」(お釈迦様のご遺骨の一部)が奉納されているそうです
思い出せなかった紋、東寺で見た紋である事を漸く思い出す・・・・・すっきり
「南無大師遍照金剛」とお唱えしながら、寝弘法さんの頭や体を撫でお願いをするとご利益があるといわれます
私も頭を撫でさせて頂きました(・・・・・ボケませんように)
堂内に掲げられた額と正面並べられた大黒天の像
寺が元々祀っていたのは黒光りした大黒様、他は信者からの寄進だそうです
真浄法尼と東寺のつながり等、昭和になり創建された小さなお寺でありながら
見所の多い寺だと思います
個人的な感想になりますが、訪れて良かったと思う寺の一つです
『大師寺』
宗派 / 真言宗東寺派
本尊 / 弘法大師
創建 / 1931年(昭和6)
住所 / 滋賀県彦根市佐和町7-19
大師寺URL
アクセス /
電車 東海道本線彦根駅下車 徒歩5分程
車 名神高速道路彦根IC より2km
個人的な感想になりますが、訪れて良かったと思う寺の一つです
『大師寺』
宗派 / 真言宗東寺派
本尊 / 弘法大師
創建 / 1931年(昭和6)
住所 / 滋賀県彦根市佐和町7-19
大師寺URL
アクセス /
電車 東海道本線彦根駅下車 徒歩5分程
車 名神高速道路彦根IC より2km