名古屋市東区筒井3丁目31-21
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市営地下鉄東山線「千種」からJR中央線沿いに北へ歩く。
正月3が日ということもあり、普段は交通量が多く、喧騒に包まれる錦通りも閑散として静まりかえり、JRのアナウンスだけが今日はやけに大きく聞こえる。
人波を縫うように歩いたり、喧騒に溢れた街より、静まり返った街を歩くのは結構好きだったりします。
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物部神社は、桜通りに面した赤萩交差点角、ここも普段は交通量が多いけれど、行き交う車の少ない事、正にひっそりと佇んでいます。
人や車の映り込みのない写真はなかなか撮れないものです。

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直接こちらを訪れるのであれば地下鉄桜通線「車道」で下車、地上に出れば街中の杜が視界に入ります。
さぞかし初詣に訪れる参拝客で賑わっているかと思いきや、意外に少ない。
写真は境内西側の鳥居と参道、大きな由緒書きが掲げられています。
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上の絵は明治26年(左)と現在の比較として掲載します。
ひと昔前の1893年の地図には物部神社は記されておらず、ここから東は東部丘陵地にかけ田畑が広がり村が点在しています。

ここに神社が記されるのは大正に入った1920年からです。

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玉垣が続く桜通りに沿いの歩道を東に向かいます。
表も裏も気にすることはないでしょうが、こちらの鳥居は二つあり、個人的に鳥居の先に拝殿が見える側から境内に入ることにしています。

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東の鳥居から境内の眺め。
神社幟と門松、提灯も吊るされ最高にドレスアップした光景でしょうか。
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東側の鳥居に掲げられた物部神社扁額。
千種駅周辺は古くは物部郷古井村などとも称され、豪族物部氏一族の尾張の拠点があったとされるところ、かつて尾張や美濃には多くの物部神社が存在したらしいけれど、それらは合祀の道を辿り、尾張国の物部神社としてはここ1社、美濃国には岐阜市中西郷と岐阜県本巣市上真桑本郷の2社が残ります。

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境内右の手水舎。
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手水鉢の龍も清水を注ぐのにフル稼働。
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庭火が焚かれる境内の右に南を向いて二つの鳥居。
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右は物部天神社。
左に黒光りした撫で牛、幟や提灯には梅の紋が入れそれを物語ります。
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左の鳥居の先の四社はかつての屋根神だと云われます。
詳細は分かりませんが熱田社、秋葉社、津島社だろうか。
屋根神様を探しに歩きたいと思ってはいるものの、思っているだけで行けていない。
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屋根神様の左の東を向いて祀られた社と大国主之命を祀ります。
ここの狛犬はよく見かける白い花崗岩ではなく、色合いは茶を帯びた石が使われ落ち着いた印象を受けます。
目つきや耳の垂れた顔立ちもなかなか個性的。
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参道は二手に分かれ左にも鳥居があります。
奥には狛犬が二対と覆屋の先に一つの社。
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正面の社には神紋の橘の神社幕と物部神社の提灯が吊られています。
阿形の右には物部白龍社の幟が建ち、細い参道があり先へ進むと物部白龍社へ続く。
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物部神社の提灯が吊られているけれど詳細はよく分からない。
この社の前の一之狛犬、この黒ずみ方は風貌に貫録を与えている。
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その先にニノ狛犬、彩色が施された小さなものです、余程の暴れん坊なのか檻の中です。
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拝所から社殿を眺める。
神域には神馬と手前に…蛙か?
風化により原型をとどめていないけれど、これでも立派な狛犬。
石から彫り出したものではなく、素材が土の様です。
正面に社殿、左右にキノコのような小さな灯篭建つ。
この特別な祀り方はなんだろう、物部神社の本殿はここだという話を耳にした事があるけれど、本当なのかも知れない。
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阿形の狛犬から先に進むと大きな御神木を挟むように南を向いて二つの社の物部白龍社が祀られています。桜通りの歩道から良く見ることができます。
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正面から撮るには近すぎるので、一旦歩道に出て玉垣の間からの全景です。
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境内の名古屋市教育委員会解説板と由緒書き。
「この宮は延喜式神名帳(905)尾張愛知郡の部に物部神社御祭神宇摩志麻遅命と記帳され、また国内神名帳(1707)に従三位物部天神と記されている。
天神とは天津神と申し上げ、称号です。尾張府詩には神霊は一魂の大石で神武天皇が当國の凶魁を討たれた時、この石を国の鎮めとなされたため要石と称され、この古事によって石神の名が起り、この様な大石は世に根なし石とも伝えられ、全国には水戸、鹿島の三か所に存すると言う。
元禄年間(1688~1703)藩主徳川綱誠(三代)は社殿の重修遷宮され、俗に石神堂山神と称して近くの人はもとより、遠くの人々まで厚く信仰されています。
明治元年式内社に治定、昭和28年本殿・拝殿造営遷座。昭和30年斎館が作られ現在に至る。境内には加藤博庸撰の祠文碑天明7年(1787)があります。例大祭 10月7日」

御神体は要石と呼ばれる石の様です。
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橘の紋が入った提灯をくぐり拝殿に向かい参拝することにします。
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切妻瓦葺の妻入拝殿。
由緒には昭和28年本殿・拝殿造営遷座とあり御神体は神武天皇がこの地を平定した際に見つけた大石「要石」。
過去の地図で鳥居の表記が現れるのは1920年以降、明治に至っては表記もない。
由緒に「石神堂山神とも称される」とある様に、それ以前は神社の形態をイメージしてはいけないのか?
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尾張名所図会を見てみます。
距離の描写はアドリブでしょうが、手前の立派な伽藍の高牟神社の先、右上に物部神社は小さく描かれています。
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物部神社を拡大してみます。
田畑が広がる中にポツンと小高い場所があり、その頂に四方を玉垣で囲われ、南に鳥居と拝殿?らしきものが描かれています。このこんもり感はなんでしょうか?
尾張名所図会は江戸時代末期から明治時代初期にかけて刊行されたとされます、当時からそれなりの伽藍を持っていた事がわかるだけに、なぜ地図に鳥居がないのか・・・・・

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顔馴染みの拝殿前の狛犬。
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拝所から拝殿内。
創建 / 垂仁天皇の御代
祭神 / 宇摩志遅命(物部氏の祖神とされる)
要石は本殿の下の土中にあると云われます。
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拝殿扁額。
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切妻瓦葺の妻入り拝殿全景。
後方に本殿らしきものがあるようですが見通せません。
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拝殿左の西参道脇に六角笠の灯篭と社号標。
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その先を進むと社務所を経て西の鳥居に至ります。

田畑はビルや住宅が広がり街の中にあって、物部神社のこの杜は喧騒を忘れさせてくれる貴重な存在です。

『物部神社』
創建 / 垂仁天皇の御代
祭神 / 宇摩志遅命
住所 / ​名古屋市東区筒井3丁目31-21
公共交通機関アクセス / 名古屋市営地下鉄桜通線「車道」駅よりすぐ

さてと、初売りで人の溢れる電気屋さんに行くかぁ