昔は前熊村と呼ばれた地域で現在は愛知県長久手市前熊志水
過去の前熊村には多度神社、秋葉社、天王社、八剣社、諏訪社、天王社、山神等が近隣に点在していたようです
現在は姿を消し、残るのはここ多度神社と​秋葉社​のみとなった様です
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この辺りは神明川と香流川の二つの川が流れ周辺の田畑を潤しています
ここから少し下流で合流しますが、流れの集まる合流点は河川の氾濫も頻繁に起こります
これから訪ねる「多度神社」は氾濫から守るために、伊勢の多度神社から分霊を勧請し建立したのが始まりと云われます
今でこそコンクリの護岸が整備されそうした事もなくなりました
(写真は神社後方を流れる香流川)
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香流川に架かる小さな橋を南に超えた田畑の中にこんもりと杜が現れます
多度神社の杜です
東側には脇参道、その左に倉庫が建っています
この倉庫の中には、市の有形民俗文化財に指定された長久手市唯一の前熊の山車が保管されています
1562年(永禄5)から続く伝統の天王祭りは、毎年7月に行われ、境内でお披露目されるようです
山車の製作された年代は不明ですが一説には、1805年(文化年間)頃に名古屋市東区の古出来町で使われていたものを譲り受けたとも言われます
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神社参道
正面右に社号標があり、参道は西に伸びています
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参道の先に南を向いて石鳥居が建っています
左手は保育園等がありますが、もともとの参道は施設建設に伴い寸断されたようです
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なかなか古びた鳥居です
正面に入母屋瓦葺の吹き抜け拝殿、右に手水舎の伽藍です
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鳥居の傍らの解説板
それによると
「1661年(寛文元年)に作られた石造りの明神鳥居は、長久手市神門前​『神明社』​の1662年(寛文二年)と共に、県下でも古い部類に入ると言われます
幕藩体制の整う寛文年間の祓官や住職の代官への届け出には多度社は「権現」あるいは「多度権現」と
記されていますが、1681年(天和元年)の「奉建立伊勢神明天照皇大神宮」をはじめ江戸時代の棟札は全て「神明宮」が主文となって表されており、祭神と鳥居の様式は対応している」
・・・・・とある
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薄っすらと年号が刻まれている?ようにも見えますが・・・・・多度神社で1661年と刻まれた明神鳥居ですね
深く考えずに、笠木と島木の美しい反り上がりの石鳥居が今も残っている事に驚きます

鳥居の前はフェンスで参道は行き止まり、ここからは真っ直ぐ伸びる長い参道をイメージしましょうか
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境内右に随分と年季の入った赤茶けた手水鉢、年号は見忘れました
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通りから見たイメージとは違い、境内は思ったより広く、山車を曳き出す充分な空間も確保されているようです
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拝殿から本殿の眺め、何れも玉垣で囲われています
周辺にあった八剣社、山神、諏訪社、天王社、諏訪社は明治に入りここ多度神社に合祀され、本殿域右の2つの祠に祀られています
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多度社と入った鬼飾り
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多度神社の創建は不明
天王祭りが400年を超え今も受け継がれている事から、創建は更に遡ります
祭神は天津彦根命/日本武尊/武御名方命/須佐之男命
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本殿前の狛犬・・・・・いい顔つきをしていますが近寄れません
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高く積まれた石垣と玉垣で本殿域を眺めるビューポイントは少ないかもしれません
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東の脇参道から見た伽藍全景
どことなく長久手市神門前​『神明社』の趣に似ているように思えます
田園風景の中に鎮守の杜、郊外に出ると昔の原風景は残っています
住所 / 長久手市前熊志水108-1