尾張のおじさんblog

こんにちは 地元名古屋を中心に身近な神社・仏閣、地元の歴史や街並みを紹介していきます

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知多郡南知多町
夏には海水浴で賑わう内海海水浴場、その西外れの辺りの砂浜を西浜ビーチと呼ぶそうだ。
かれこれ40年ほど前、この辺りに泳ぎに行こうと向かったけれど、交通事情が悪かった事もあり、えらい渋滞につかまって以来夏にこちらを訪れる事はなかった。
久し振りに訪れて見ると、当時にはなかったお洒落な店や旅館などあり随分変わっていることに驚きました。
今回の目的地は、この西浜ビーチの高台にある『秋葉神社』
訪れたのが2020/10/26、この時季にしては暑いと感じるほどの陽気。
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 西浜ビーチから今まさに出航する舟、ではなくてこれ浜辺に設けられたWC。
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南国情緒が漂うビーチ沿いに一方通行で駐車禁止の道路が伸びる。
写真は内海新港のある西方向の眺め。
そんな光景の中に社号標が建っています。
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ビーチから見る秋葉神社社頭。
ここから参道が後方の山の頂に向け続いているようです。
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 右に社号標、その先に常夜灯と石の鳥居、狛犬も見えています。
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 参道脇の手水鉢。
これ程ビーチに近いとあらぬ使い方をされるのでは?そう感じてしまうのはおやじだけか。
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 鳥居の先を守護する狛犬。
胸板が厚く凛々しい姿をしています。
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コンクリートの参道脇は玉砂利ではなく、ビーチの砂そのものです。
昼も過ぎていただろうか、参道に大注連縄が影を落としていました。
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 参道は鳥居から二手に別れます。
真っすぐ進むと秋葉神社に続く石段、右に行くと吹越御嶽山に続く石段、どっちにしても石段を登る事になります。
まずは正面の石段を登り秋葉神社に向かいます。

石段中ほどから鳥居方向の眺め、この先には海が望めます。
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 石段は左に折れるとその先が頂。
境内はその頂にあり、ニノ鳥居の先に社殿が見えてきます。
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 社殿全景。
左の建物が社務所なのか、拝殿なのか、それとも幣殿にあたるのかよく分かりません。
本殿の左右に境内社が複数祀られているようです。
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 本殿右に二社。
左が津島社、右の社は社名札の文字が飛んでしまい思い出せません。
木花咲耶姫命が祀られていたような。
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 本殿右の覆屋には御嶽社。
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その左が秋葉社。
この秋葉社の創建に繋がる由緒書きは整備されていないようで、知多郡史下巻に以下の記録が記されていました。
そこには「秋葉社 東座頭畑 火加具津知命 元禄2年創立」とある。
東座頭畑の住所から見ると、記されているのはここを指していると思われます。
正にここ秋葉神社がそれだとするならば、1689年創建と意外に長い歴史を持つ神社。

内海にはもう少し北側の山中に秋葉社があるけれど、現在の住所から見るとそちらではないと思われます。
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 本殿左の社は金刀比羅社。
参道は更に左の奥に伸び、丘の西側に続いています。
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この参道は狛犬がいた分岐の吹越御嶽山への参道に続くようです。
樹々の隙間から海を眺め、細い下りの石段を下りていきます、その脇に摩利支天(左)、日本武大神が祀られています。
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 細くて急な石段を下り切ると視界が広がり、左に社とその先に瓦葺の建物が現れます。
写真の社は九頭龍社。
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お穴屋と呼ばれ。
ここから少し下ったところに鎮座する御嶽神社創建と同時期、御嶽山を更に広める目的で山の岩盤に金槌とのみで掘られた小さな洞窟。
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 解説によれば内部にはここを掘った行者の納骨塔や、覚明霊神碑、不動明王などが安置されていると云う。お穴は代々行者の修行場とされたようです。
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お穴屋から少し下ると御嶽神社。
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 吹越御嶽山
「創始は明治3年清海行者(林善四郎)により創建。
妹の病を治さんとして御嶽山ニノ池で行を行い、明治23年礼拝所お穴屋を建築。
吹越、岡部村初め須佐方面からも多くの信者が訪れたようです。
頂上に摩利支天を祀り、八海山、日本武大神、猿田彦大神、戸隠九頭社が祀られている。」
随分と見落としてものがありそうです。
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 更に下っていきます。
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 振り返って下ってきた石段を眺める。
登る事を思えば秋葉神社から下ってきて正解かな。
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この石段脇にも御嶽神社らしく多くの霊神碑が建っています。
この山自体が小さな御嶽そのものです。ここまで来ると社頭も目の前。
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 小さな神社かと思っていましたが、この山全体が神域のようです。
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 鬱蒼とした杜の中から視界は広がり、青い海と明るい空が広がります。

秋葉神社
創建 / 不明
祭神 / 火加具津知命

吹越御嶽山
創建 / 1870年(明治3)

住所 / ​知多郡南知多町内海東座頭畑10
公共交通機関アクセス / 名鉄知多新線「内海」駅から徒歩25分程

尾張高野山宗総本山 大慈山 岩屋寺
伊勢湾岸沿いに知多半島先端の師崎に続く国道247号線を山海交差点で左折、そこから県道470号線を走る、すぐに県道276号線に変わり5分程で左手に岩屋寺が見えてきます。
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県道右側に大きな無料駐車場があり、車で訪れても駐車場に困る事はありません。

訪れたのが1月18日、この日はかみさんが知多四国八十八箇所霊場巡りのイベント参加のため、送迎を兼ねおやじはコース対象外の岩屋寺を訪れました。
こちらの参拝前に国道沿いの神社を複数巡ってきたので、かみさんからのお迎えコールがいつ来てもおかしくない。そんな事でいつものように時間をかけて見て廻る余裕はなく。

駐車場から岩屋寺の伽藍が良く見渡せます。
左が本堂、中央の門前の先に鐘楼と多層の建物が見て取れます。
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門前を右に進み鐘楼側から境内を見ます。
袴腰が施された鐘楼に視線が行きます。
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鐘楼から更に右の眺め。
左が拝殿、右は庫裏でしょうか。
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これだけ大きな伽藍を持ちながら、岩屋寺の門前に山門は見当たりません。
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門前の石段前の左に「新四国第四三番札所」、右に「岩屋観音」の石標が建っています。
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石段左に瓦葺入母屋造の手水舎。
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境内右の休憩所と手前に弘法堂。
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焦点が合っていない堂内写真ですが、左に弘法大師と中央に不動明王の姿が拝めます。
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弘法堂の左に袴腰が施された瓦葺の鐘楼。
当初は四脚鐘楼だったとされ、1697年(元禄10)の火災で焼失、1753年(宝暦3)に再建されますが、再建までの長きにわたり梵鐘は本堂の軒端に吊されていたそうです。
横長の鐘楼は斜めから眺めると安定感があり、木組みも美しく、岩屋寺の伽藍の中にあって「経蔵」と並び存在感のあるもの。
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下り棟に強面の鬼瓦が睨みを利かしています。
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「阿弥陀堂」
鐘楼の向かえに建つ入母屋瓦葺の建物。
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平治の乱に敗れ、この地に辿り着いた源義朝、匿われていた長田忠致の裏切りから命を奪われ、野間に葬られます。
1159年(平治元年)、源義朝(頼朝の父)の霊廟をお詣りに訪れた浄土真宗の開祖親鸞聖人が岩屋寺を参詣、その際に弘法大師七井の井戸の水を汲み、自ら阿弥陀如来の一尊を書き納められたと云われ、現在の阿弥陀堂の本尊となっているようです。
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石段の正面に石の鳥居と二層建物。
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大師ヶ嶽を背にして建ち、伽藍にあって目を引く存在です。
瓦葺二層造りの「一切経蔵」と呼ばれるもので、現在の経蔵は2年の歳月をかけ1801年(寛政13)に完成したもの。
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​内部の輪蔵(経が収蔵され、一回しで収められた経典全てを唱えたと同等の功徳があるとされる)は、1812年(文化9)から三年の歳月をかけ作られたと伝わります。
軒を支える木組みは、飾り彫りこそないものの、荷重を巧みに分散する先人の知恵が凝縮された美しい造形美をみせてくれます。
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「一切経蔵」の左の明神鳥居を構えた「笠森稲荷」。
理由は不明ですが、伏見稲荷の抱き稲と豊川稲荷の紋が入る神社幕が吊るされています。
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石段の先に狛狐。
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「笠森稲荷」本殿
始まりは旧山海村に住んでいた山本助左衛門という村人が、上州を訪れた際に目の病にかかり、失明しかけたそうで、現地に祀られていた笠森神社に願掛けした所、治ったことから、帰郷後、自宅近くの岩屋寺塔頭であった谷ノ坊に建立した事が始まりと云われます。
眼病平癒に霊験あらたかで、参詣者が絶える事が無いほど崇敬されていたようですが、助左衛門の死に伴い岩屋寺に併祀されたようです。
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「一切経蔵」の右に三つの堂と山肌に五百羅漢像が祀られています。
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右に地蔵堂と奥の方型の堂は「薬師堂」
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薬師堂内。
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左の堂は「遥拝所」
斜面を覆わんばかりの羅鑑像は、1820年(文政3)当時の岩屋寺住職の豪潮律師によって開眼されものだそうで、其々表情も違い、中には永年の風化により表情が分からないものもある。
羅漢像はこの脇から続く参道を登り、大師ヶ嶽の山頂にある弘法大師立像にまで祀られています。
この羅漢像を見て行くだけでも相当な時間が必要、しかし
それに見合うだけの壮観な光景が続きます。
この「遥拝所」はここから山頂の大師像を拝むためのものだと思われます。
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境内左に「本堂」
右に「尾張高野山の寺号標」左に「南知多観音第二十五番札所、東海百観音第七番、知多四国四十三番」霊場と彫られた石標が建つ。
「知多西国三十三所霊場」の一番札所でもあり、昨年(2019年)は開創250年の知多半島最古の霊場。
尾張高野山とは元々は天台宗だった岩屋寺に1925年(大正14)に転住した豪鉄大僧正により、1951年(昭和26)尾張高野山宗 総本山として開創したもの。

岩屋寺の歴史は古く、715年(霊亀元年)に行基の開基と云われ。
創建当時の伽藍は十二坊に大門、楼門、多宝塔など建立され、壮観な伽藍を有していたと云われます。
本尊の千手観音は、​高野山​に金剛峰寺を創建後の弘法大師が再び諸国遍歴を行い、岩屋寺で百日間の護摩修行を行った際の護摩の灰で作られたものと伝わり、奥の院を開きそこに祀ったものと云われ、現在は本堂で祀られているそうです。昨年、60年ぶりに御開帳が行われたようです。
因みに弘法大師が南知多町大井聖崎に上陸したのは814年(弘仁5)とされます。
岩屋寺
尾張名所図会に描かれていた岩屋寺は現在の伽藍に近いもので、鐘楼から右に延びる奥の院へ続く道筋は現在も面影を留めています。
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寄棟瓦葺で流麗な屋根勾配が印象に残る本堂は幾度か火災で焼失し、1804~1818年(文化年中)に​密蔵院​から訪れた豪潮寛海により再興される。現在の本堂の再建は分かりませんが、尾張名所図会に描かれている姿に近いものです
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扁額は「厳窟寺」とある、別称で千眼光寺厳窟寺とも呼ばれるようです。
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白地の幕に三つ葉葵の寺紋が入る。
1819年(文政2)、尾張徳川藩主の加持祈祷所となり、三葉葵の紋章を許されたとある。
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長い歴史を持つ岩屋寺、文化財も多く残り「一切経」、「金銅法具」などが受け継がれ本堂右の宝物殿で所蔵されています。
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本堂の参拝を終え、鐘楼方向へ、その先は「拝殿」
こちらでは檀家の位牌を安置するほか、写経や落語などの催事が催される場。
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拝殿入口左に菩薩像。
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拝殿から右の本坊。
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境内に掲げられた岩屋寺、奥の院の案内図、広大な境内です。
奥の院入口までは車で数分で行けるようですが、残念ながらここでかみさんのお迎えに行かねばなりません。多宝塔のある奥の院へは次回改めて訪れます。
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かみさん提供の奥の院「多宝塔」
厳粛な空間に佇む多宝塔、やはり自分の目で見てなんぼのもの、再訪するだけの価値がある寺だと思います。
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知多四国巡り、ありかもしません。

尾張高野山宗 総本山 大慈山 岩屋寺
宗派 / 尾張高野山宗
開基 / 715年(霊亀元年)
本尊 / 千手観世音菩薩
住所 / 愛知県知多郡南知多町山海間草109
車アクセス / 南知多道路
「南知多」ICから内海方向、国道247号線山海を左折、県道470号線、県道276号線経由車で20分程
公共交通機関アクセス / 名古屋鉄道「知多新線」内海⇒海っ子バス西海岸線⇒松原停留所から徒歩
(時間帯により岩屋寺停留所までの便がある)

『乃野神社』
知多半島の伊勢湾に面した海岸線沿いに伸びる国道427号線。
国道に面し神社仏閣が多い場所。
それもそのはず、弘法大師所縁の地として江戸末期から八十八寺の霊場を整え、知多四国八十八か所巡礼(番外含め98か所)として今も巡礼に訪れる姿が絶えることはありません。

かみさん自身の直近のテーマが知多四国八十八か所全コンプリートを目指しています。
休みが合えば、送迎を兼ねて、おやじは近隣の神社仏閣を見て回っています。
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 『乃野神社』は国道247号線越しに山海港を眺める松林に鎮座します。
国道からは南参道の鳥居が目印になります。
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 国道から眺める南参道口。
松を主にした杜は防風林としての役割もあるのでしょう、常夜灯と石段の先に鳥居を構えます。
海辺のせいか、境内は玉砂利ではなく海砂の様です。
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 『乃野神社』の表参道は南鳥居の右に奥へ続く道があり、そこを進むと、袴腰が施された趣のある常夜灯が現れます。
その右には「御嶽大神」の石標が建っています。
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この常夜灯、神社の規模の割にえらく立派なものです。
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 常夜灯の左が境内、石段左に「村社 式外 乃野神社」と彫られた社号標。
道路から見た境内の高さはそれほどでもないけれど、こうして見ると随分と高く盛られているのが分かります。
鳥居の先に拝殿が間近に見えています。
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 切妻瓦葺のシンプルな拝殿と境内、訪れた方の足跡が残るほど地面は柔らかく砂場のようです。
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 境内右に目を移すと右から手水舎、境内社と由緒碑が一列に並びます。
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 手水舎、生憎、鉢に清水は満たされていませんでした。
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 境内社の後方に複数の石碑が祀られています。
何か書かれていますが目を凝らしても読み取れません。
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 境内社は5社祀られ、奥から津島社/庚神社、子安社/山神社、海神社/金刀比羅社、津島社、御嶽社と並びます。
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 『乃野神社』
愛知県知多郡南知多町大字山海 式外 乃野神社 祭神 豊受比賣命
「由緒 当神社は本国神明帳に従三位乃野天神内海庄久村神明と称す。
1186年(文治2)3月宣命に依り位階を賜ると所載有り。
又、往古より神明社と称せられたが、1871年(明治4)5月名古屋藩庁より本国神明帳に所載するにあたり、乃野神社と神号を訂正する。豊受比賣命またの御名を萓野比賣命と申し、往古より当跡力蓬ノ繁殖地なることよりしても如何二神慮ノ然をしむる所以なり。
1872年(明治5)村社、1908年(明治41)指定村社、1953年(昭和28)宗教法人認証、神社本庁所属」

外観から想像できなかったけれど、1186年(文治2)には既にこの地に鎮座する長い歴史があるようです。
「蓬ノ繁殖地」のくだり、繁殖地とあるけれど、この辺りで蓬湯や蓬餅は見かけますがよく分からない。
蓬(ヨモギ)は食品や湯舟に入れたり、屋外で応急の止血としたり身近なハーブ、昔の生活には有難い自然の恵みだったのか?、今は雑草と思われているかも。
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 本殿左に「天照皇大神、神武天皇遥拝」の石標。
目の前に広がる海、その対岸は伊勢神宮なので遥拝所なのでしょう。
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 素朴な外観の拝殿。
一対の狛犬が本殿を守護しています。
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 昭和初期に奉納された狛犬。
街中で見かける色白のものとは違い、日焼けした色合いをしています。
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 拝殿から本殿の眺め。
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 全貌は窺えませんが、本殿は外研ぎの千木と鰹木が施された流造の様です。
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 砂場のような境内全景。
ベンチもあり、潮騒を聞きながら子を遊ばせ、神さまと共に見守るには絶好の場所。
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 境内から南の鳥居の眺め。
穏やかな山海港の先は伊勢神宮。
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 国道脇のスイセンが春を告げています。

『乃野神社』
長い歴史を持つ潮の香りが漂う素朴な神社
創建 / 不明(1186年(文治2)以前?)
祭神 / 豊受比賣命
境内社 / 津島社/庚神社、子安社/山神社、海神社/金刀比羅社、津島社、御嶽社
住所 / 知多郡南知多町大字山海橋詰52
車アクセス / 南知多道路「南知多」ICから内海方面へ​国道247号線経由つぶて浦・荒熊神社経由で15分程

知多郡南知多町大字豊浜字中之浦「中州神社」

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 国道247号線の中之浦あたりに差し掛かると、道路沿いに石灯篭と大きな鳥居が目に留まります。
鳥居から先は神社に続く舗装された参道があり、周囲はちょっとした門前通りの趣があります。

この辺りは豊浜「鯛まつり」で知られます。
中州地区の「鯛まつり」の中心は「中洲神社」といっても過言ではないでしょう。
祭りは中州神社の祭礼の添え物として行われ、愛嬌のある顔をした鯛の山車が練り歩き、最後は海で泳がせる漁師町に相応しい男気満載の祭り。

発端は明治の頃に中洲の大工さんが祭礼に「はつかねずみ」の輿を作ったのが始まりとされます。
その後「ねずみ」から他の動物のだし物も造られますが、明治30年頃から漁師の村のということから、土地柄に相応しい海の生き物に代わっていき、現在の「鯛」が造られるようになったのは大正に入ってから、以降「大鯛」が定番になったようです。
神輿の中で御囃子をしながら海上を泳ぐ「大鯛」、現在では豊浜地区と合わせ5匹の赤や黒(黒鯛)が造られ季節の風物詩になっています。
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 「ニノ鳥居」
鳥居先の右手に手水舎、参道の先には三ノ鳥居が見えます。
左に「中洲神社」と記された社号標。
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ニノ鳥居から拝殿全景
右手に社号標そこには「中須神社」と刻まれています。
三ノ鳥居の左に石標が二つ。
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 右は忠魂碑、左は社務所新築記念碑。
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 三ノ鳥居を守護する担当は色白で綺麗な容姿をしています。
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 石段の先には拝殿警護担当の顔が見られます。
境内は石垣が三段に盛られ、二段目に四方に庇を持つ入母屋の平入拝殿、左右に覆屋、本殿は三段目。
素木の木造で周囲の景観に溶け込んで趣があります。
本殿後方には山肌が迫り、近頃の大雨や台風の影響が気になる土地柄です。
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 拝殿前担当の面々、こちらも色白。
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 切妻の拝所に掲げられた扁額「中州神社」とあり、社号標は「中須」と記されています。
創建は古く、江戸時代初期まで遡るようです。
当時この辺りは「中須」と呼ばれ、神社も社宮司社と称したようで、地名の「中州神社」に変わったのは明治11年に須佐村と合併後に現在の「中洲」に変わったようなので、扁額の「中州」はそれ以降の拝殿建替え時に揮毫されたものだと思います。
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 創建年度、祭神は不明。
拝殿、幣殿内の眺め、大きな御幣が三つ捧げられています。
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 拝殿左に4社祀られていますが、こちらも山肌が迫っています。
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 覆屋の左に板宮造りの三社、左から春埜社、秋葉神社、御嶽神社が祀られています。
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 右に祀られる茅葺で流造の多賀神社は一人部屋。
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 拝殿左から本殿の眺め、全貌は見て取れません。
本殿脇の覆屋に2社が祀られているようで、玉垣の先には小ぶりな狛犬の姿があります。
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 温かみのある石材で彫られた狛犬は、外観は「…ゲットだぜ」のキャラクターの様でもあります。
小さいながら永い年月を経てきた、そんな風貌をしています。
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彼らが守護するのは左の津島神社、右はあまり馴染みのない天泊社宮子。
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 拝殿右の覆屋。
根が成長したのか、根と石垣の間に建てたのか分からないけれど、根の張り方は見事なものです。
それにしても綺麗に積まれた石垣だこと、自分じゃ作れないだけに形にできる職人はさすが。
何積みというのかな、きりこみはぎでいいのかな?
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覆屋内には3社、左から蛭子社、皇人神宮、山ノ神社が祀られていました。
土地柄ですね、屋根は潮風で腐食が進んでいます、しょうがない。
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 本殿右の覆屋に1社。
こちらにも狛犬の姿。
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 左の狛犬とよく似ています、年代を見たいものですが無理ですね。
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 彼らが守護する・・・・・?
ここにもとても小さな狛犬、彼らが最後の要、小粒ながら重責を担っている。
彼らが守護するのは金刀比羅神社、細部には彫飾りが施されています。
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 拝殿前から三ノ鳥居、二ノ鳥居方向を見下ろす。
この先は海。
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 境内で見かけた最も古い年代は灯篭に刻まれた1828年(文政11)。
漁港の前に佇む小さな神社ですが、古くからこの地の守り神です。
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 一ノ鳥居とその先に海、ここから巨大な鯛が泳ぐ姿を見られるのは7月です。

『中州神社』
創建 / 不明
祭神 / 不明
境内社 / 金刀比羅神社、津島神社、天泊社宮子、春埜社、秋葉神社、御嶽神社、多賀神社、蛭子社、皇人神宮、山ノ神社

住所 / 愛知県知多郡南知多町大字豊浜字中之浦32番
車アクセス / ​南知多道路​「南知多」ICから内海経由、国道247号線で師崎方向に16分程

知多郡南知多町山海天神西
南知多道南知多ICから内海を経由し、堤防が続く海岸線の国道247号線を15分程走る。
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 小高い丘の麓、国道左に白く輝く神明鳥居が視界に入り立ち寄ってみました。
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 『天神社』
堤防を背にして神社全景を一枚。
広い境内は鳥居の先は石灯篭と社殿、右に手水舎ととてもすっきりした印象。
狛犬は見当たりません。
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スリムな印象の手水舎。
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 拝殿正面全景。
安定感のある一対の灯篭と切妻瓦葺の平入拝殿は温かみを感じる木張り。
天神社ということなので、梅紋や撫で牛を探してみたけれど見かけなかった。
大きなガラス引き戸がある拝所から参拝。
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 拝殿から本殿。
創建が新しいのか、建て替えたばかりなのか分からないけれど、伽藍全体はとても新しく感じます。
少し調べてみるも2015年に法人格を取得したところまでです。
社号標が一番古びていましたが、年号を見忘れました、鳥居には1934年(昭和9)とありました。

神社が鎮座する山海天神西は古くは内海を中心に、江戸や大坂に結ぶ海上交通の要所として栄えていたそうです。
1889年以前は久村、大泊、岩谷寺の三つの村があったようで、その後に山海村、内海町、南知多町と遍歴を重ねてきたようです。
現在、天神西と東の地名がありますが、この神社を境に分かれているのかもしれません。
創建は明治から大正末期ではないかと思われます。

天神社
創建 / 不明
祭神 / 菅原道真
御神徳 / 学問・受験の神、雷神、立身出世・農業の神
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 拝殿と本殿を繋ぐ渡廊で見つけた狛犬。
ここにいたか。
後ろ姿しか見えていないけれど、随分と色白で肉付きの良い、頭でっかちかな?
ここなら潮交じりの海風は避けられ、居心地はいいだろう。
2000年(平成12)生まれ、ミレニアム狛犬という事です。
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 拝殿から鳥居方向の眺め。
鳥居の先の堤防、その先は伊勢湾が広がっています、お伊勢さん方向になるのかな。
潮騒と潮の香漂う海岸に鎮座する神社は山海の学問の神『天神社』でした。

住所 / 知多郡南知多町山海天神西2
車アクセス / 南知多道南知多ICから​内海経由で国道247号線を南へ15分程​    

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