尾張のおじさんblog

こんにちは 地元名古屋を中心に身近な神社・仏閣、地元の歴史や街並みを紹介していきます

タグ:神社

名古屋市西区城西5
「屋吉地蔵」​を後に西に向かい歩きます。

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最初の道を左に進み次の目的地「上宿 山神社」に向かいます。
この道は「弁天通り」交差点から南に向かい、堀川の「筋違い橋」に至る道。

すぐに名古屋のビリヤード店では老舗となるお店が現れます。
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その左に赤い稲荷鳥居と白い幟が靡く「上宿 山神社」に到着です。
左の社号標は「村社 山神社」とあり大正に入り建てられたもの。
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 「上宿 山神社」全景。
住宅街の中の神社といった趣きです。
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 南を向いて立つ鳥居と入母屋瓦葺の社殿、左に稲荷、右の脇参道にも社があります。
境内に小振りで暖色系の色合いの狛犬が見られます。
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 境内左の手水舎、右に「​橿原神宮遥拝所」の石標。
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 赤みのある自然石の手水鉢。
清水は注がれていないけれど水は澄んでいます、手を清めて参拝。
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 通りから見えていた暖色系。
見慣れた色白に比べ、柔らかい砂岩のようにも見え、温もりを感じる色合い。
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 耳垂れの目が強調された可愛い狛犬です。
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 山神社拝殿全景。
幟に「上宿山神社」とあるのは、その昔この辺りは上宿(かみしゅく)と下宿(しもしゅく)と呼ばれ、
上宿の山神様なので「上宿山神社」。
ここから西の「上宿第一公園」、「上宿第二公園」に地名の名残をとどめています。
元は現在の名古屋城御深井丸付近に鎮座していたとされ、1610年(慶長15)の名古屋城築城に伴い遷座したようです。当時の絵を探してみましたが残念ながら見つけられませんでした。
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 上宿の山神様の御祭神は山の神として知られる大山祇ノ神。
創建は不明。

この辺りでは山神さんとして親しまれているようです。
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 拝殿右の稲荷鳥居、扁額に「豊丸稲荷」とあります。
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 参道の先の「豊丸稲荷大明神」の扁額。
伏見稲荷から勧請したのではないか思われますが、詳細は分かりません。
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 社は三対の狛狐が守護しています。
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 西陽に照らされ浮き立つ狐、肉付きもよく生真面目そうな感じです。
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それに対してこちらの狛狐、全身苔むした痩せた容姿で、右の狐は尾が欠け落ち、悲壮感が漂っています。
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 覆屋の中の社は茅葺の流れ造り。
小さいけれど木鼻や蟇股にはしっかりと彫飾りが施されています。
詳細は不明です。
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 拝殿右の参道先には鳥居(元号は昭和)を構えた社。
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 鳥居の先の覆屋。
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 何でしょうか、蟇股に丸に金とあります、金刀比羅社の様です。
詳細は不明です。
「豊丸稲荷」同様に社は覆屋の中で祀られているので、茅葺の屋根を含め傷みは少なく、彫飾りなども綺麗な状態。
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 金刀比羅社から振り返った境内の眺め、この先は昔の故郷、名古屋城。
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 拝殿はシンプルで飾りの少ない素朴な作り、悪戯に着飾ってはいません。
こちら神紋は拝殿の扉が閉じられ、境内も見渡してみるも目につきませんでした。
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 境内右の社務所。


お城の築城で居場所を追われた山神さま、上宿に引っ越して上宿山神社に呼名を変え今も地元では親しまれています。

「上宿山神社」
創建 / 不明
祭神 / 大山祇ノ神
境内社 / 豊丸稲荷大明神、金刀比羅社
住所 / 名古屋市西区城西5-18
公共交通機関アクセス / ​市営地下鉄鶴舞線「浄心」下車、大師寺、屋吉地蔵経由で徒歩15分程

さて次の目的地は・・・・・南を見ればそこに見えていました。

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この先の左に見える神社に向かいます。    

瑞穂区津賀田町
山手グリーンロードの瑞穂運動場西交差点から程近い、緩やかな丘陵地に津賀田神社は鎮座します

駐車場を探すため周囲を一周、西側に駐車場がありましたが入口は△コーンで閉ざされ、「参拝者以外駐車お断り」だったかな?の看板と監視カメラのマークが・・・・・
コーンをずらして駐車させて頂こうとも考えるもなんだか居心地がよろしくない
車で神社を一回りするも、コインパーキングも見当たらず
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瑞穂台地に建ち、周辺は細い道路が入り組み、一方通行が多い場所
三差路の角に津賀田神社社号標
入口に提灯掛と参道には鳥居が幾つか見て取れます
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津賀田神社社号標と入口に掲げられた市教育委員会の解説
『津賀田神社、尾張志に本国帳に愛智郡従三位津賀田ノ天神とある是也とあり、天照大神と仁徳天皇を祀る古社で、俗に若宮八幡とも井戸田八幡ともいった。
また、社宝の書写大般若経は、「尾張志」に「此社に古写の大般若経六百巻を唐櫃におさめ」とあり、その大般若経の多くは南北朝ごろに書き写されたもので、このことから神社の創建は鎌倉末までさかのぼるとされる。』と解説されています

こちらの神社は格式も歴史もある事は理解できるが良くわからない事も多い

神社のある瑞穂台地やここから南の笠寺台地にかけて古くより人が住み、多くの古墳が残ります
津賀田古墳がありますが住所はこちらの神社の所在地の町名が符合します
古墳の上に神社が建てられることは珍しい事ではないけれど、番地が違う様な
道路を隔てて北側が古墳の所在地、車がなければひと回りしたいところ

井戸田八幡の井戸田は以前この辺りは井戸田村であった事からこちらも符合します
尾張名所図会を調べて見た、前篇5の46頁に「津賀田社」としてこの辺りの記述が記されていた

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北井戸田村にある。仁徳天皇を祭り、俗に若宮八幡と称す・・・・・本国帳に「愛智郡従三位津賀田天神」是なり・・・・・右大将源頼朝公誕生の地にして、其産土神なる故なりて・・・・・
治承4年社を鎌倉にうつしまつり鶴岡下宮で 治承5年5月13日鶴岡造営のことは東鑑にしるされど、ここより勧請せしよしは見えず・・・・・・。又其誕生の地といへるは、熱田の誓願寺境内なるよし、すでに其所にしるせしごとくなれば、今何れか本所なるや、是非定めがたし
の記述
無題2
頼朝生誕地として誓願寺の他に瑞穂区には龍泉寺が知られているが正に「何れか本所なるや」
俗に「若宮八幡と称す」、栄にある若宮八幡との関連も良くわからない、 あまり考えるのはやめておこう
なぜならば参拝し、境内を良く見たいが車の落ち着く場所がない
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しかたなく、車から降り参道と解説板を収める
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参道入口の看板
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車でもう一回り、東側の車道から神社東側の眺め、延々と玉垣が続く
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東側に境内入口があるも△コーン、奥に拝殿が見えています
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車を降り、目一杯のズームで拝殿全景、本殿は見る事が出来ませんでした
拝殿右は津賀田稲荷大明神の鳥居、境内には他に津賀田竜王神社が祀られているようです
何れにせよ、参拝するには車は邪魔です、日を改めて参拝とします
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参道入口の注意書きと外周を一回りして見かけた禁止表示の数々
大きく格式のある神社で住宅街に囲まれた立地、随分長い時間くるくる回っていましたが
その間も訪れる参拝客をお見受けする事はありませんでした

頑なに禁止看板を建てるには何か理由があるのだろう
大きくて静まり返った境内に異様な空間を感じる、尊厳というものだろう
敷居が高いとでも表現すればいいのか、何か落ち着けないものを感じます

我家の子供達、私は夕涼みがてらベビーカーで彼らを連れ、近所の神社へ参拝に出かけたものです
成長に伴い、虫かご片手に訪れもしました
いつしか宮司さんからも子の成長を見て声をかけて頂くように
小さな神社で歴史も足元に及びませんがとても身近な存在、子が遊び、人が集うそんな神社だった

津賀田神社
創建 / 不明
御祭神 / 仁徳天皇、天照大御神
住所 / 名古屋市瑞穂区津賀田町3-4
アクセス / ​市営地下鉄桜通線「瑞穂運動場西」西へ徒歩10分程
近隣の寺社 / ​田光八幡社​、​秋月院


春日井市宮町 1
 ​名鉄小牧線​「春日井駅」から踏切を渡る、二股の道を右に入り歩く事5分程
春日井小学校の東隣りに鳥居が見えてきます「両社宮神社」到着です
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道路沿いの鳥居、実は二の鳥居
 一の鳥居は右奥に建っており、鳥居前は道路は途絶え畑になります
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一の鳥居の左に「両社宮神社社務所」があります
 上原村と彫られた手水鉢が置かれています
現在の町名は春日井市宮町ですが、1878年(明治11)当時は春日井村の春日井原新田と呼ばれ、水田が開かれました
 上原と南下原、小牧原に分かれていたようで、鉢に彫られた上原村は当時に寄進されたものでしょう
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道路に面した二の鳥居と社号標
 真っ直ぐに延びる参道の先に蕃塀と祭文殿が見えます
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二の鳥居の狛犬と由緒の記された石碑が建つ

 両社宮神社由緒抜粋
創建は1648年(慶安元年)、1744年(延享元年)に八幡社と熱田社を合わせ祀り両社太神宮とよぶ
 徳川末期、森の中に延喜式(927年)以前の和爾良神社祠を発見し合祀、1866年(慶安2)尾張藩から式内和爾良神社両社宮の社号を許可されたが、1870年(明治3)から両社宮神社と改めた
 1947年(昭和22)年郷社に認定、六等級社になる
現在の本殿、祭文殿は1956年(昭和31)竣工、拝殿は1827年(文政10)改築の建物
 また、1959年(昭和34)の伊勢湾台風で巨大な森は全滅、以後植林して現在の森となる
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立派な木々が長い参道の両脇に杜となり
 一歩踏み入ると周囲とは別の神聖な場所である事を感じさせます

参道脇は仲睦まじい道祖神が幾つも祀られています
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参道中ほどの左に手水舎があります
 蛙の口から絶えず水が注がれた水盤で清め先に進みます
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蕃塀の先の広い境内は祭文殿、本殿、両脇に境内末社が見て取れます
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祭文殿全景と内部から見た本殿
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本殿前の狛犬と本殿
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賽銭箱には桐と橘の紋が入る
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本殿側面からの全景
 派手な飾りのない流れ造りの社殿はシックな佇まい
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社殿域両脇の神明社と須佐社
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社殿の右に御嶽社、その右の諸霊社
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境内西向きに祀られる左から天神社、山之神、直会社
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社殿の左に住吉社
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稲荷社参道入口左に玉垣で囲われた天満社
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住吉社と天満社の間に稲荷大明神の幟がはためく、真っ直ぐ続く参道とその先の稲荷社
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境内の三猿石像と道祖神
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切妻造りの祭文殿、破風飾りなどに光り輝く装飾はなく、彫も派手さを抑えたもの
本殿脇の由緒書き
両社宮神社は延喜式神名帳に記され「尾張国山田郡和爾良神社」の事とされていますが
 石標に記されている「和爾良神社祠を発見」とあり、あれやこれやと調べてみたものの根拠に辿り着けない
・・・・・和爾良神社はあちらこちらに存在し、自宅近くの​和示良神社​もその一つと言われるだけに
 考えたくない部分なので素直に「そだね!」としておきます
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両社宮神社の鳥居
上段は手水舎から振り返って見たもの、一の鳥居の先が畑なのが良くわかります
 下段左が​行者寺​と路を隔てた東の鳥居、右が学校脇の西の鳥居

両社宮神社
創建 / 1648年(慶安元年)
祭神 / 誉田別命、日本武尊、 大国主命 、 阿太賀田須命 、建手和爾命
境内社 / 神明社、須佐社、御嶽社、諸霊社、天神社、山之神、直会社、住吉社、天満社、稲荷社
住所 / ​愛知県春日井市宮町1
アクセス / 名鉄小牧線春日井駅下車徒歩10分


長々と残っていたホルダーもこれで移動できます
 今頃は境内は新緑が輝いているのではないでしょうか


今日も陽気が良く、花見には絶好

 なのに今日もお仕事

それでも数か所チャチャット廻って撮ってきました

 今日の桜便りです
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南区​七所神社
それ程桜が無い境内ですが鳥居左の桜、6分咲きですか
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東海市稲荷社
以前来た時に比べ境内の木々を剪定されたのかすっきりした境内へ、唯一の桜は四分咲きでしょうか
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南区秋葉社
記事にする前に桜の見頃を迎えてしまいました
 星崎城址の碑が残る神社、鳥居両脇の桜は今が見頃を迎えています
地元の方に話では「40年前には多くの桜があった」そうな
 昔はもっと綺麗だったそうで、今ではこの二本が当時を偲ばせる唯一の桜との事
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南区​富部神社
 陽当たりがいいのでしょう、今が盛りとばかり咲き誇っています
桜目当てに親子連れ、参拝客と訪れる人は絶える事がない
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瑞穂区​真好神社
 四季桜は既に葉桜、今はソメイヨシノがこれから盛期を向かえつつあります
本殿も桜をバックに華やいだ時期を迎えています

明日もチャチャと寄れるといいのだが

名鉄常滑線柴田駅から国道247号線を越え東へ

 送電鉄塔を仰ぎ見ながら歩く事20分程で目的地付近です
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正面に名古屋高速大高線の高架と千鳥公園が見える住宅街の一画
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住宅街の一区画に玉垣に囲まれ「天白神社」社号標が現れます
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神社全景、隣接した右の建物は天白集会所

 右手の枝垂れ桜が満開の時期、小さな神社が1年で最も艶やかな時を迎えるのでは?
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コンパクトな境内、鳥居の先に石垣が積まれ、一段高く盛られた一画に社が三つ祀られています

 鳥居は1984年(昭和59)に建之されたもの、そのほか百度石が右側にあります

何れも昭和に入り建之された新しいものです
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鳥居の右に略記が彫られた碑が置かれています

 もとは干潟だったこの地を山口源兵衛により開拓された地域
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海抜0mのこの地域は天白川の巨大な堤防により守られています

 (天白川に架かる千鳥橋から柴田方向)

1959年(昭和34)の伊勢湾台風は、この天白川の氾濫を招き

 尊い人命と共に多くの建物に甚大な被害与え、この神社も水没、

1961年(昭和36)に再建され現在に至っています
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参道から境内に入った左の手水舎、手水鉢は立派なものですね
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丸い目をした愛くるしい表情の狛犬
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天白神社社全景

正面中央 / 天照皇大神宮

左 / 秋葉神社、北野天満大神

右 / 熱田神宮、多賀大社

創建 / 不明
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訪れる者には嬉しい祭神が彫られた石標、こちらも新しのか?とても綺麗
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社から境内全景、天白町の氏神様です

住所 / 名古屋市南区天白町3丁目

アクセス / ​名鉄常滑線「柴田駅」から徒歩約20分

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