滋賀県近江八幡市牧町
県道559号線、通称さざなみ街道
湖岸緑地岡山園地の駐車場を右手に見ながら100mほど南下した先に左カーブが見えてきたら
右手に入る細い道が見えるはずです
頭山の東の麓にあたり、琵琶湖の湖岸沿いの細い道
右手は遮るものは何もなく琵琶湖を一望でき、とても静かな空間に藤ヶ崎龍神が鎮座します
聞こえるのは湖畔に寄せるさざ波の音だけです
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道沿いの左に「昭和天皇御即位、御大典記念大石碑」の案内板と右に「藤ヶ崎神社」の案内板
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ここまでは案内してくれたナビは藤ヶ崎龍神
案内板は藤ヶ崎神社とある・・・・・?
鳥居を含めて境内整備が行われ案内板の写真とは違う様相・・・・・ここ??
とてもすっきりして綺麗に守られているようです3
藤ヶ崎龍神外宮
湖畔の大小無数の岩の中に注連縄のかけられた2つの巨石が磐座
霞のかかった琵琶湖を背に、鳥居と祠の朱が鮮やかに浮き立ち神秘的な趣を感じます
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藤ヶ崎龍神正面前景
鳥居前の左右に「藤ヶ崎龍神」と刻まれた奉納燈籠と朱い鳥居には「藤崎龍神社」の扁額
湖面の先には長命寺の鎮座する長命寺山と津田山、更に左には沖島を望む雄大な景色が広がっています
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鳥居をくぐり龍神様の拝所へ向かい参拝します
それにしても、見とれる程の絶景です
湖面から今にも龍神様が現れる、そんな気にさせる
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藤ケ崎龍神の祠と二つの巨石に注連縄が巻かれた磐座(いわくら)
どことなく夫婦岩を連想させます
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外宮から振り返り返った、山側一帯は「水茎の岡」と呼ばれます
そちらには二つの鳥居とその先の岩壁にポッカリと開いた洞口が正面に見えます
こちらが内宮、洞窟の奥に妙得龍神様が祀られています
洞窟の入口の右端に略縁起の石碑、左に地蔵堂と当地の解説板が掲げられています
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「水茎の岡」解説板
名勝として知られ、この地は古くから歌に詠まれるほど
水茎の岡を詠んだ歌は万葉集をはじめ40有余残ると云われそうです
ここにはその歌が書かれています
「藤が崎より尾崎まで 守りたまえし神々様 栄ましませ 水茎の岡」
巨勢金岡(こせのかなおか)という平安時代前期の宮廷画家がこの地を訪れ、この絶景を描こうとした
しかしあまりの絶景故に絵に落としきれず、筆を折ってしまったと云われます
「水茎の岡」の「水茎」とは筆を指しこの地に名が残った
また、ここから「筆ヶ崎」と呼ばれるようになったのだという
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洞窟の入口左の地蔵堂
中には三体のお地蔵様が祀られていました
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洞窟の入口の右端に略縁起の石碑があり以下のように刻まれています
「龍王ト龍神ナトハ夫婦ニテ 名高キ藤太家名藤原(江州蒲生郡牧村藤ケ崎神社ノ龍神略縁起)」
「名高キ藤太家名藤原」とは
平安時代中期の下野(現在の栃木)の武将藤原秀郷(俵藤太、田原藤太とも)のこと
この地の「近江富士・三上山の百足退治伝説」で、龍神一族は三上山に住む「大ムカデ」に苦しめられていた、龍神一族から大ムカデの退治を懇願され見事に退治した物語で知られる
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さて内宮へ参拝に
岩壁の割れ目に出来た洞窟、その前には網戸が置かれ内部への侵入を拒むかのようですが、これは周辺に生息するカラスの侵入を防止するもの
参拝時には右の様に一旦網戸をどかし、屈んだ状態で内部に潜り込み参拝を行い、参拝後はそのまま「後ずさり」して再び網戸を戻す、これが参拝マナーの様です
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狭くて薄暗い洞窟内に妙得龍神様を祀る小さな社、その前には苦手なへびの置物もあります
お参りを終え、向きを変えようとしてもそれは無理というもの
下手をすれば周囲の岩に頭をぶつけるのは見えている
ぼちぼちとそのままバックするのが賢明(それはそれで怖いけれど)
左側には龍神祝詞が掲げられてますが洞窟から出る事で精一杯、祝詞を唱える余裕はありませんでした
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暗い洞窟から外に出て振り返る
青い空と湖面の色が同化した大きな世界が広がり、この静寂さは龍の存在を感じさせる
2019/02/22
水が温む頃はカラフルなセールが湖面にたなびき、別の表情を見せてくれるのでしょう
藤ヶ崎龍神
創建 / 不明
祭神 / 妙得龍神
住所 / 滋賀県近江八幡市牧町