尾張のおじさんblog

こんにちは 地元名古屋を中心に身近な神社・仏閣、地元の歴史や街並みを紹介していきます

タグ:長久手市


長久手市岩作五反田
ここからほど近い「石作神社」の境外摂社「直會神社」。
石作神社から南西に徒歩10分程の田んぼの中に鎮座する小さな神社。
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田んぼの先の小高い丘が「石作神社」の鎮座地で「石作神社」を訪れた際にこちらの「直會神社」を探したのですがその時は携帯もなく、ポンコツナビには知らないと云われ、辿り着くことができず、そのまま忘れさろうとしてしていた。
かみさんの「イケヤに連れてけ」とのことで、もう一度探して参拝する事を思い出した。
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田んぼの中だから目立ちそうなものだが、こうした区画は小島のように点在するので以外に分かりにくかったりする。
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神社全景。
田んぼの中の小さな交差点の角に玉垣で囲われた神域がある。
車の駐車場所には意外と気を遣う、何せ道路の幅員はさほどなく強引に停めるには気が引ける場所。
主な建物は石の神明鳥居と拝所、手水舎、本殿のようです。
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社頭全景。
長閑な田園風景の中にポツンと鎮座しています。
社頭の厄除祈願の赤い幟と神社幟のお陰で今回はすぐに場所が分かった。
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境内右の「直會神社造営記念碑」そこには以下のように記されている。

「石作神社の摂社で岩作字久手田32番地(現五反田9番地)に鎮座。
大正初期の社地は現在の半分程度で、古墳上の塚地に二・三本の杉の木立があり、樹の根元に四方が二尺五寸(概ね80㌢)ほどの神殿が祭祀してあり、五穀豊穣の神を祀る。
祭神は神道毘命、大道毘命
大祭日は毎年3月、12月の第一日曜日
創建は古く詳細は不明なれど岩作神社の直會の神としてこの地の古墳の上に祀られた。
岩作神社の摂社で同神社大祭終了の際に、御神饌を下げてこちらで「直會の儀」を行い、宮司、氏子総代、村長、区長などが会食をする場であった。
大正15年神社再建に伴い、社地を拡大した。
再建後の3月、12月の大祭には露店も並び、弓道大会等開かれ戦後まで多くの参拝客で賑わった。」

直會(ナオライ)は、祭事の後で神前の供物を下げ、祭祀に関わった者が一同に会し、神さまと共に頂く「ナムリアイ」から来ているようでこうしたイベントが「直會の儀」というようだ。
神さまと同じものを口にすることで、神さまの力を少しでも授かろうというのが狙いのようです。
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社頭から拝所を通し本殿が見通せる。
ここに古墳が存在したようですが、現在の姿から古墳の面影は全く見られない。
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上は境内右手の手水舎。
下は境内左側の石碑と小さな狛犬。
奥から浅井菊寿の詠んだ「直会社夜雨」の歌碑があり「枝かはつなき暮らしつつ みやしろの 木々さわがせて 夜雨ふりきぬ」と記されている。
岩作八景とは直會社夜雨、色金山秋月、安昌寺晩鐘、石作社晴嵐、立石池落雁、下田流蛍、平子橋夕照、高根山暮雪を指すようだ。
中央には浅井菊寿の顕彰碑もある。
この地の庄屋の家系で生まれた浅井菊寿(1859~1938)は郷土の歴史を自費で「岩作里誌」と「長久手村誌」等に纏め後世に残した人物。
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拝所前の狛犬。
左手の顕彰碑と本殿前に小さな狛犬がいるけれど、それに比べるとまだまだ新しいようです。
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板宮造りの本殿全景。
その前に小柄な狛犬が一対、賽銭箱がここにあるという事は、手前の建物は拝所ではないようだ。
ここで直会の儀が行われるという事だから、直会殿なのか?良く分からない。
まずは参拝しよう、賽銭投入「僅かな賽銭、多くの願い、コロナ退散・菜園豊作・・・・・」
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一面平坦な田んぼの中で五穀豊穣を掌る「直会神社」、以前に比べると随分田んぼも少なくなったのではないかな。

この辺りは1584年長久手の合戦の舞台でもあり、この周辺には寺社以外にも「首塚」や「耳塚」などが点在し見どころは多い。


直會(ナオライ)神社
創建 /   不明
祭神 / 神道毘命 大道毘命
住所 /   ​長久手市岩作五反田9
車アクセス /   田籾名古屋線 県道215号線岩作方面へ、「藪田」信号を超えて左折直進

昔は前熊村と呼ばれた地域で現在は愛知県長久手市前熊志水
過去の前熊村には多度神社、秋葉社、天王社、八剣社、諏訪社、天王社、山神等が近隣に点在していたようです
現在は姿を消し、残るのはここ多度神社と​秋葉社​のみとなった様です
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この辺りは神明川と香流川の二つの川が流れ周辺の田畑を潤しています
ここから少し下流で合流しますが、流れの集まる合流点は河川の氾濫も頻繁に起こります
これから訪ねる「多度神社」は氾濫から守るために、伊勢の多度神社から分霊を勧請し建立したのが始まりと云われます
今でこそコンクリの護岸が整備されそうした事もなくなりました
(写真は神社後方を流れる香流川)
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香流川に架かる小さな橋を南に超えた田畑の中にこんもりと杜が現れます
多度神社の杜です
東側には脇参道、その左に倉庫が建っています
この倉庫の中には、市の有形民俗文化財に指定された長久手市唯一の前熊の山車が保管されています
1562年(永禄5)から続く伝統の天王祭りは、毎年7月に行われ、境内でお披露目されるようです
山車の製作された年代は不明ですが一説には、1805年(文化年間)頃に名古屋市東区の古出来町で使われていたものを譲り受けたとも言われます
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神社参道
正面右に社号標があり、参道は西に伸びています
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参道の先に南を向いて石鳥居が建っています
左手は保育園等がありますが、もともとの参道は施設建設に伴い寸断されたようです
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なかなか古びた鳥居です
正面に入母屋瓦葺の吹き抜け拝殿、右に手水舎の伽藍です
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鳥居の傍らの解説板
それによると
「1661年(寛文元年)に作られた石造りの明神鳥居は、長久手市神門前​『神明社』​の1662年(寛文二年)と共に、県下でも古い部類に入ると言われます
幕藩体制の整う寛文年間の祓官や住職の代官への届け出には多度社は「権現」あるいは「多度権現」と
記されていますが、1681年(天和元年)の「奉建立伊勢神明天照皇大神宮」をはじめ江戸時代の棟札は全て「神明宮」が主文となって表されており、祭神と鳥居の様式は対応している」
・・・・・とある
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薄っすらと年号が刻まれている?ようにも見えますが・・・・・多度神社で1661年と刻まれた明神鳥居ですね
深く考えずに、笠木と島木の美しい反り上がりの石鳥居が今も残っている事に驚きます

鳥居の前はフェンスで参道は行き止まり、ここからは真っ直ぐ伸びる長い参道をイメージしましょうか
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境内右に随分と年季の入った赤茶けた手水鉢、年号は見忘れました
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通りから見たイメージとは違い、境内は思ったより広く、山車を曳き出す充分な空間も確保されているようです
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拝殿から本殿の眺め、何れも玉垣で囲われています
周辺にあった八剣社、山神、諏訪社、天王社、諏訪社は明治に入りここ多度神社に合祀され、本殿域右の2つの祠に祀られています
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多度社と入った鬼飾り
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多度神社の創建は不明
天王祭りが400年を超え今も受け継がれている事から、創建は更に遡ります
祭神は天津彦根命/日本武尊/武御名方命/須佐之男命
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本殿前の狛犬・・・・・いい顔つきをしていますが近寄れません
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高く積まれた石垣と玉垣で本殿域を眺めるビューポイントは少ないかもしれません
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東の脇参道から見た伽藍全景
どことなく長久手市神門前​『神明社』の趣に似ているように思えます
田園風景の中に鎮守の杜、郊外に出ると昔の原風景は残っています
住所 / 長久手市前熊志水108-1

長久手市神門前『神明社』
江戸時代は長久手村、岩作村、前熊村、北熊村、八草村があったけれど合併を繰り返し
現在は長久手市となり、自然豊かな住みやすい街として活気のある地域です
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愛・地球博記念公園の観覧車を背景に手前の高架をリニモが音もなく走り
その下を県道521号線が猿投クリーンロードへと続きます、この手前はIKEAになります
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グリーロード、愛・地球博に伴う造成等でこの地は大きく様変わりしたものです
以前はこうした田園やこんもりとした里山が広がっていましたが、随分と少なくなったような気がします
写真はIKEA北側から神明社の杜の眺めです
観覧車が無ければ緑豊かな昔の原風景そのものです
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この辺りは古くから人が住み、古墳群が点在する地域で、現在のグリーンロードの工事の際は一部の古墳が工事範囲となり、調査、保存される程の歴史的遺産が残ります
そうした古墳群の中に神明社と付く古墳も存在します、長久手市神門前の「神明社」が正にそれです
広大な境内には4つの古墳が点在するそうです

鮮やかな稲の緑が美しい田んぼの前に由緒を記した石碑、左に社号標と古びた石鳥居があります
参道はうっそうとした杉の杜の中に消えていきます
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全体に風化し、笠木等は黒ずんだ石造りの八幡鳥居は、江戸時代初期の1662年(寛文二年)のもので、長久手町指定文化財(平成9年)に指定されているもので県下でも古い部類に入るものらしい
(長久手町は2012年(平成24)長久手市となる)
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鳥居左の解説板
神明社は神明鳥居が建てられるのが一般的と云われる中、八幡鳥居が建てられたことは特異な例と紹介されています
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その左にも苔生した解説板らしきものがありますが、内容は読む事が出来ない状態
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鳥居から杉に包まれた参道の眺め、街中ではお目にかかれない長い参道です
遥か先に二ノ鳥居その先に石段が見てとれます
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神路橋を渡ると二ノ鳥居の先の石段の先に拝殿が姿を現します
左に手水舎、手水鉢があり、脇参道が続きます
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二ノ鳥居は苔生した神明鳥居
針葉樹が多いためでしょうか、風はあまり抜けて来ません
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石段を上がれば境内です
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杜の中にぽっかりと大きな空間が広がります
入母屋瓦葺の吹き抜け拝殿と狛犬、その先は異様に高く積まれた石垣の上に透塀が本殿を囲んでいます
落ち着いて趣のある神社だと思います
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本殿前に狛犬が一対
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外観は緑色に苔生し、石本来の地色は失せています
良く見かける色白の可愛い表情とは一味違う凛々しい姿です
奉納年を見たかったけれど、狛犬達の周辺に護衛の蜂が多数飛び交い、これ以上近寄る事を許してくれませんでした
本殿の石段の隙間に巣がある様なので要注意です
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本殿外周を一周する路があり一周してみます
北側からは流造の本殿と幣殿、複数の末社を望む事が出来ます
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東側から眺め
ここから見ると本殿以外に右に三社、左に二社の社が見えます
神明社が創建された時代は定かではないようです

この本殿は境内にある4つの古墳のうちの一つの上に鎮座しています
古墳の石室で使用されていた石が神社の基礎部分に流用されている?とも言われています
記録を遡ると江戸時代の1670年頃まで辿る事が出来る様です

当初の末社は児神、八王子、八幡、白山、三狐神の五社を祀り、三狐神は後に境外に移され一時期は四社となった様です
明治に入り山神、斎宮司、御鍬神社、秋葉社、天王社を合祀、後に津島社が合祀され、五つの社に九社が
祀られているそうですが、ここからではどれがどれなのか・・・・・
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拝殿に戻ってきました
こうして本殿域を見ると、古墳の上にあると云われると頷ける
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周囲は緑の田んぼが広がり、その外れにこんもりとした里山がある
北熊村の氏神様が神明社です
ここを訪れると少し前の日本の原風景を感じる事ができます

かみさんの買い物も終わった様です、長い参道を戻りお迎えに行きますか
2019/07/04

神明社
創建 / 不明
祭神 / 天照大御神
住所 / 愛知県長久手市神門前13
アクセス / ​地下鉄東山線「藤が丘」⇒リニモ「公園西」駅下車、徒歩5分程

長久手市役所から5分程東へ向かいます
 やがて1級河川香流川が見えて来ます、川沿いを下流に歩くと香流川に架かる高根橋が見えてきます1
両脇の常夜灯と御嶽山大権現、御嶽山参道の石標が建っています、その先に見える小高い山を目指します
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橋から下流の眺め、香流川もここまで来ると流れは小さくなります
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橋を渡り、車乗り入れ禁止の道を10分ほど歩いていきます
 周囲は鬱蒼とした木々に覆われ、道は緩やかに登っていきます
木々を抜けてくる風が心地いい・・・・・長いものに出逢いそうな予感
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やがて視界は開け左側に石段が現れます御嶽山の入口到着です
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入口にはNAGAKUTE GUIDEの案内板か設けられています
 携帯でQRコードを読み込むと案内が表示されるようで、長久手の史跡や寺社にはこうした案内を良く
見かけます、タイムリーに情報を取りに行けるのでありがたい
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御嶽山までこの石段から「登頂」開始です
 随分先に石段の終わりが見えています
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石段を上り始めると左側に御嶽信仰の山丸三の紋があちらこちらに見て取れます
 数えきれないほどの霊神碑が祀られています
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御嶽山信仰は数ある山岳信仰の一つ
起源は約1,200年前、信濃国(現在の長野)で疫病が流行して困窮した際に石川望足が霊峰御嶽山の中腹に、国常立尊、大己貴尊、少彦名尊の御三神を祀って平穏を祈願したことから始まると云われています

平安・鎌倉・室町時代におこった民間信仰と山岳信仰が結びつき、当初は修験道の場として、厳しい修行を重ねる道者といわれる限られた者のみ登拝が許されていた
1784年(天明4)行者覚明と1794年(寛政6)普寛により広く民衆に開山されたと云われます

最近身近で耳にする事が少なくなった講社と呼ばれる御嶽山を崇拝する信者により支えられ、霊神碑は過去の行者を神格化し祀ったもの
御嶽登山口に行くと霊神碑が立ち並び、その数は2万基以上ともいわれます、登山口で見かける風景がここにもあります

岩作「御嶽山」は1855年(安政2)に明寛霊神と明心霊神が開山したと云われ、日進市の岩崎「御嶽山」と共にこの地方の心願講と呼ばれる講社の中心となっているようです
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石段を登りきると鳥居が見えてきました、後はこの石段を登れば終わりのようです
 石段の数を数えていたものの途中で忘れてしまいました
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本堂を見下ろす高台、右手に本堂の屋根を見下ろします
  山丸三の紋の入る手水鉢が置かれ馬頭観音?が祀られています

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鳥居周辺至る所に霊神碑が祀られています12
上は鳥居左の祠
祠の手前に高倉神社の碑があります、それがこの祠なのか良くわかませんが、そうであれば天照大神という事でしょうか
下は十二大御権の祠
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祠後方の十一面観世音菩薩と不動明王
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拝殿正面からの全景
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拝殿前の狛犬
 輪郭のはっきりした凛々しい容姿
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拝殿から本殿は渡り廊下で結ばれています
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本殿前の狛犬はしっかり年季のはいったもの・・・・・犬だと思います
 古びて一部は欠け落ちたのでしょうか、左の狛犬はこちらを向いて何かを訴えたい、そんな表情に見えます
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拝殿から本殿
 意外に山丸三の紋は見受けられなかった
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岩作「御嶽山」

天照大神、高皇産霊大御神、神皇産大御神の三柱の神と、国常立尊、大己貴命、少彦名命を 
 加えた六神を御嶽大神として祀り、岩作御嶽草創の明覚・明心二神を含めた八神が合祀されている
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拝殿右側の摩利支天と霊神碑
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白川講霊神場

 鳥居から南の眺望、歩いて来た長久手古戦場方向が一望できます
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鳥居から南を振り返ると結構な高低差で本堂の屋根を見て取れます

 鳥居から左に下って本堂へ
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「御嶽山」の味のある扁額
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岩作「御嶽山」堂内全景
山三丸紋幕
 山は御嶽、〇は宇宙を現し中の三本の線は上から不動明王、中央が大日如来、下が摩利支天を現す様です、講を引き継ぐ方も減少していると聞きます
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本堂の向いにある手水鉢と祠、祭神は分かりませんでした、後々追記する事にします

岩作「御嶽山」
創建 / 1830年(天保元年)
住所 / 長久手市岩作壁の本33番地
アクセス / ​​リニモ「長久手古戦場」駅下車 徒歩で西へ40分程
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御嶽山境内のシャガと山道入口付近の畦道に咲くツツジ

以前の様に登れる日は訪れるのだろうか
2018/04/16

長久手市岩作

以前は花火大会が催され、夏の風物詩として馴染みのある地域

 長久手市役所から徒歩10分程東に歩いた左、色金山の麓に安昌寺山門が見えてきます

訪れたのは3/28

 山門横の淡墨桜は丁度見頃を迎えていました
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微妙に色の違う二本の桜に彩られた山門からは、境内がほぼ見て取れます
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「曹洞宗 久岳山 安昌寺」の表札
 
 山門右の桜は淡墨桜、この時期に安昌寺を訪れる者の眼を引き付けます
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樹齢30年程の薄墨桜
 安昌寺の菩提樹だそうです
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山門から境内に入った右の手水鉢
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境内右の鐘楼
 1770年(明和7)に建造と言われ、長久手市内では一番古い木造建築物とされます

手前の歌碑(平成4年建立)には平成の文人、林謙三氏が詠んだ岩作八景「安昌寺晩鐘」の句が刻まれています
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碑の左の石は「夜泣き石」と呼ばれ
 この石にお参りすると、子供の夜泣きが止まるとも云われます
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本堂から右に庫裏へとつながっていきます
 
 近代になって建て替えられた様です、新しい
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本堂に掲げられた扁額
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境内左の観音堂

堂内には平安時代初期、849年(嘉祥2)の仏師徳永作と伝わる木造の十一面観音座像が安置されており
 100年に一度ご開帳され、直近は1980年(昭和55)に御開帳されたそうです
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観音堂内(写真2枚張り合わせ)
 
 1573年(天正元年)、​守山区大永寺​の雲山和尚により草創され
1585年(天正13)に岩崎城主丹羽氏により創建された寺

ここから程近い長久手合戦の際、戦死した人々を雲山和尚が懇ろに弔ったそうです
 合戦後、多くの尾張藩士が訪れた事から、安昌寺には多数の書き付けが残ると言われる
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本堂左の地蔵群
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境内から山門を振り返る、二本の桜が印象的です
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1861年(文久3)の建造とされる山門、安昌寺を代表する建築物かと思います

『安昌寺』
宗派 / 曹洞宗
創建 / 1585年
本尊 / 釈迦牟尼仏
札所 / 尾張城東西国三十三観音一番札所
住所 / 長久手市岩作色金92
アクセス / ​リニモ長久手古戦場駅下車北に徒歩30分程

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