尾張のおじさんblog

こんにちは 地元名古屋を中心に身近な神社・仏閣、地元の歴史や街並みを紹介していきます

タグ:長野県諏訪市

諏訪大社四社巡りも本宮と前宮でタイムアップ、予定外の車中泊決定
片倉館で温泉に浸かり車に戻る頃、そらは赤く染まっていました
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晩御飯食べに行こう🎵
周辺のお店は意外に日曜日定休のお店多いようなので、諏訪駅方向を目指すことにしました
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 チェーン店も複数ありますが、どうせなら地元のお店、しかも地元の酒が飲めるところ
ということでJR上諏訪駅東口前のいずみ屋で晩御飯(晩酌?)
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ビールで喉を潤し、さあ何食べよう?
定食も豊富にありますが、それほどご飯ものも食べられない
単品で地元の摘み中心でオーダー
川エビ、炙り酒粕・ねぎ味噌、揚出し、漬物、メインは馬刺し・・・・・

地元のお酒5種の飲み比べセット(辛口)を頼んでみた
我が家は辛口派、これを選んで見た

いつも感じるけれど、この日本酒度は我が家の味覚にはなじまない
期待して当たった試しがなく
甘辛さの指標として分かりやすいけれど、酒の甘辛さは日本酒度以外に酸度や糖度などの要素も感じ方に影響されます
セットの銘柄で我が家が好むすっきりした辛口で喉越しのいい銘柄は日本酒度+5の銘柄
しかも+5以上の銘柄には「これ甘口でしょう?」が1銘柄
日本酒度、あくまでも指標ですね・・・・・味覚音痴

それにしても銘柄を選ぶには有難いセットです
さあ、これで酒は決まった、後は日本酒度+5をひたすら味わうべし
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 メインの馬刺し
普段は好んで食べないけれど、ここの馬刺しを食べて印象が一変しました
まるで鮪でも食べているようです、当然お替りです、いずみ屋の馬刺しはおいしい
美味しいお酒と馬刺しを堪能させてもらいました

馬刺し 1,100円、川海老の唐揚げ550円、炙り酒粕・ねぎ味噌350円、揚出し豆腐 350円
飲み比べセット 630円・・・・・

いずみ屋
住所 / ​長野県諏訪市諏訪1-2-4
℡ / 0266-52-3267
定休日 / 不定休
営業時間 / 月~日、祝日、祝前日: 11:00~22:00

お腹も満たされ車に戻ります、途中のスーパーで地元のお菓子を買い求め、湖畔に戻ると対岸の街明かりのみです
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周囲は真っ暗、後はシュラフに潜り込んで、テレビでも見ながらお菓子と寝酒でも
・・・・・またも速攻爆睡
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 翌朝、湖岸通りの湖畔公園パーキング
数台いた車中泊組は既に次の目的地に、残っていたのは我が家だけ
パーキングには綺麗なトイレもあり、足湯も近いので車中泊には快適なロケーション
食事は近隣のホテルか目の前にコンビニがありました

若い頃はこうした場所でお世話になりました、最近はマナー(オートキャンプ場と錯覚?)の低下から車中泊禁止が増えているそうです、野山に入ればクマも出る?
10月初旬、外は長袖シャツ一枚では肌寒さを感じます
暖かいコーヒーでシャキッとさせて湖畔を散策

湖畔公園の畔に立つ八重垣姫のブロンズ像
「上杉謙信の娘八重垣姫と武田信玄の息子勝頼は、足利将軍の仲介で婚約していました
足利将軍が暗殺され、上杉家・武田家に疑いがかけられ、犯人を3年以内に見つけ出せなかった時は両家の長男は切腹を命じられていた
時は過ぎ犯人は見つからない、勝頼は切腹を命じられ切腹、悲しみに暮れる八重垣姫
実は切腹したのは偽者、本物の勝頼は謙信が返さない信玄秘蔵の諏訪法性の兜を取り戻すため、花作りに身をやつしその機を狙っていました
やがて八重垣姫もそのことを知ります、しかし謙信もその事を知り、勝頼に刺客を差し向けます
八重垣姫はそのことを勝頼に知らせようとします、女の足では刺客を追い超し知らせることはできません
諏訪湖は凍り、船を出すこともできません
そこで奥御殿に祀っていた諏訪明神の力が宿る諏訪法性の兜にお祈りすると、狐が現れ湖面に狐火が燃え立ちます、八重垣姫は兜を手に狐火に導かれ勝頼のもとへと急ぐ」
浄瑠璃「本朝二十四孝狐火の段」のあらすじです
諏訪法性の兜は実在するそうで、諏訪湖博物館に兜のレプリカが展示されているようです

湖畔公園
長野県諏訪市湖岸通り5-1
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諏訪湖に浮かぶ初島、その島に鎮座する初島神社
初島は1954年諏訪湖祭湖上花火大会の打ち上げ場として、諏訪湖東岸の諏訪市湖畔公園の沖に作られた人造島で、初島神社はその際に建てられた神社
周囲に柳の樹が植えられ、湖岸からも鳥居がよく見えます、そしてここにも御柱は立っています
御柱祭では湖上をボートに曳かれ御柱が渡るシーンが見られるそうです
祭神は諏訪大明神で子宝と安産の神として親しまれているそうです

初島神社
長野県諏訪市上諏訪中浜670番地202​​

さあ諏訪大社残り2社コンプリートを目指そう
2019/10/07

長野県諏訪市湖岸通り「片倉館」
諏訪大社本宮と前宮を参拝し徘徊しただけでほぼ夕方近くになり、一日で四社巡りは諦める事に

この要因は一重におやじに問題がある訳で・・・・・
「最悪車中泊」が現実になりました
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 かみさんが予め最悪を想定し今夜の宿泊場所の候補を決めていたようです
ご指示の通り辿り着いた諏訪湖湖畔沿いの無料パーキング
夕方のこの時間は、犬の散歩やランニング目的で駐車場はほぼ満車
運良く空いていたスペースへ駐車することができました
寝場所は確保できました

せっかくここまで来たのだから、温泉にも浸かりたい
風呂上りのビールはやっぱり最高だし
サッと出てきたお風呂セット、足湯かと思っていたが、どこかに行くらしい
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重たい足で湖岸沿いを歩く
左側に工場か美術館の様なレトロな建物、ここに行くそうな
「片倉館」といい、国指定文化財の日帰り温泉施設
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 大正から昭和の初期の日本の輸出総額の約4割は絹製品であったそうで
当時、シルクエンペラーと云われた片倉財閥により、地元住民に厚生と社交の場を供する目的から1928年(昭和3)に建てられた施設
この形の参考になったのが、2代目片倉兼太郎は大正11 年~12 年の北中南米~欧州視察旅行の際に、ヨーロッパ各国の農村に、充実した厚生施設が整っている事に感銘を覚え、我国にもそのような地域住民のための施設を作りたいと願い建設されたと云われます
 特に、当時のチェコスロバキアのカルルスバーグの厚生施設に強く惹かれ、その影響を受けているそうです
夕暮れも迫りレトロな洋館に明かりが灯り、なかなかいい雰囲気です
きっと値段もそれなりにするのか?
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鉄筋コンクリート2階建ての木造洋風建築の建物は会館、浴場、渡廊下の3棟が国の重要文化財に指定されています
この会館は見学が可能で、昭和初期のレトロな雰囲気を味わうことができるようです
当日はお休みで見学はできませんでしたが、普段は一定(5人?)の見学者が集まるとガイド付きで館内を巡ることができます
閉められた扉の前には立派な狛犬が一対置かれています
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会館の前を通り過ぎたところに解説板、プールのような大きな風呂に視線が行きます
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片倉館「千人風呂」外観
なんとも渋い、このレトロな外観、いい感じです
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入口を入り下駄箱に靴を預けて番台でチケットを買い求めます
女湯は番台の左、男湯は右です
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男湯入口
年季の入った扉とガラスの取り合わせが良くマッチしています
こんなデザインガラス、子供の頃に見覚えがあります
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脱衣所の照明も室内の作りとマッチして洋風銭湯の雰囲気を漂わせます
100円ロッカーは使用後返却されます
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千人風呂
さすがに写真は撮れませんのでパンフレットからのトリミングしたものです

昭和の初期に建造され、当時のロマンが漂う天然温泉大浴場
かみさんの感想を聞くと浴槽は男女とも同じ大きさでデザインも同じようでした

千人はとても無理ですが、50人程度なら楽々浸かることができます
天然温泉を湛えたプールの様な湯舟は見た目だけではありません

その深さにも驚きます、1㍍はあるでしょう、底には玉砂利が敷き詰められ、歩行浴では程よい足裏マッサージの効果が得られ、疲れた足に心地いい刺激を与えてくれます、とても気に入りました
(小さなお子ちゃまは目を離さないようご注意を)

歩行浴で疲れれば、浴槽周りの二段の石段に腰掛ければ半身浴、全身浴、もっとリラックスしたければ浴槽周りで横になる事もできます

洗い場にはシャンプーもボティーソープもあり、タオル一本でOKです

浴室内はステンドグラスと壁面に彫刻や装飾が施され、この雰囲気はどこかで見たような・・・・・
後で分かったことですが、二階の無料休憩所に飾られていた阿部寛と上戸彩のサイン色紙を見て思い出す
ここは映画テルマエ・ロマエの撮影の場所となったようです

その二階の休憩所に一時間後集合の予定が浴槽周りで寝入ってしまい、ここでも待たせてしまう結果に
「ごめんなさい」です
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脱衣所から左の螺旋階段を上がり休憩所へ
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 この雰囲気もドラマや映画で見たような
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休憩所入口の色紙や撮影として使われたことを示す資料が多数飾られています
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二階休憩所
洋風でありながら、長テーブルが置かれ床に座り込む一画とテーブル席があり、セルフで飲食も提供されています
既にかみさんは座り込んでいます、風呂上がりのビールで乾杯です
男湯は結構人がいましたが、女湯は貸し切り状態だったようで、歩行浴しながら50肩で悩まされている左肩をぐるぐるストレッチしていたそうな
ここの湯は単純温泉(張性弱アルカリ性高温泉)で関節痛・神経痛・筋肉痛・五十肩などに効果があり二人には丁度好都合
パンパンに張っていた筋肉も少しは楽になりました
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休憩所の奥から階段を上ると屋上テラスに出ることができます
特徴のある建物、至る所にデザインが施されています、無機質な新しい建物にはない温かみを感じる建築物です

諏訪湖に間もなく夕陽も落ちようとしています

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登山やスキー、キャンプで長野を訪れても、諏訪湖は高速の通過点でした
諏訪湖周辺なかなか見どころの多いところです
重要文化財の片倉館のお風呂、なかなかのものです
さあ、晩御飯

片倉館
住所 / 長野県諏訪市湖岸通り4-1-9
泉質 / 単純温泉(張性弱アルカリ性高温泉)
効能 / 関節痛・神経痛・筋肉痛・五十肩
℡ / 0266-52-0604
URL /  http://www.katakurakan.or.jp/natural_hot_spring/
定休日 / 毎月第2・第4火曜日
料金 / 大人750円、小人450円(3才以上小学生まで)
営業時間 / 10時~21時(受付20時30分まで)
浴場棟2階休憩室の利用時間 10:00~18:00

信濃國一之宮 諏訪大社 本宮 §2
今回は本宮周辺にある寺社の一部を見て回ります
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北大鳥居から右に進みます
社務所を左に見ながら先に進むと正面に浪除鳥居に出ます
優美な姿の鳥居をくぐり境内を出て齋館の西裏手に向かいます
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左手の「宮之脇公館」の脇に山に続く小道があります
その先にの斜面に鳥居が見えると思います
この斜面を登ると「大国主命社」に続きます
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参道入口右側には石灯籠と複数の石標、小さな社が視界に入ります
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地元ではあまり目にしない庚申塔(こうしんとう)ですが、こちらでは目にする機会が多い
庚申塚(こうしんづか)とも呼ばれる様で、庚申信仰に基づいて建てられるもの
写真のように「庚申」や「庚申搭」と彫られたもの、時には金剛像が刻まれたものなど多様なものがあります

人の体内には三尸(さんし)の虫という虫がいるそうです
三尸の虫は庚申の日に人が寝ている時を見計らい天帝(仏教でいう帝釈天)にその人の悪事を告げに行くといいます
それを避けるために庚申の日(60日/1回)は夜を徹し、天帝や猿田彦や青面金剛を拝み続け、宴を催す風習です
庚申の年や庚申講を一定の回数続けた時の記念にこうした塔を建てられるようです

後方の小さな社は秋葉社
表札も掲げられ分かり易いものです、この小さな社の周りも四本の御柱が囲んでいます
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斜面に建てられた木造鳥居
その正面に白い御柱が見えます、目的地「大国主命社」です
見上げるような右の斜面にも一社あるようです
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「大国主命社」
傾斜地に建つ神社は、素木造の自然の色合いで周囲に溶け込むように鎮座しています
地元では「榧ノ木様」と呼ばれる様で、左手に大きな榧ノ木が聳えています
この社殿は本宮で遷座を終えた旧宝殿
それを移築再利用したもの、なのでここを訪れれば宝殿の全容が見れると言う事です
どことなく神明造に似ているような気もします

諏訪の神社は先程の秋葉社もそうであるように、神社には御柱が立てられるのが一般的な光景かもしれません
階段も上がれるようですが、御柱に囲まれた領域なので内部を窺うのはやめておきます

杜に佇むこの神社の姿、とても好きになりました
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「大国主命社」の脇の石標
大聖不動明王、月山、湯殿山、目黒山大権現と彫られています
その先は蚕玉社
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 蚕玉社
祠には額らしきものがあり、何か書かれていたような跡は見えます
地元宮之脇の神社で「蚕の神」を祀るそうで、諏訪大社の摂末社ではない様です

祠の内部、中央と両脇に鈍く輝く紋は葵の紋の様に見えないでもない
少し調べてみる必要がありそうです

斜めった場所、祠前にもカメラを構えるほどの余裕がないので、下手をすると斜面を滑り落ちる事になるやも、結構な斜度があります
住所 / 長野県諏訪市大字中洲神宮寺

次は東参道に戻ります
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東参道のニノ鳥居から左に上り、赤い山門の法華寺へ向かいます
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神宮寺配置図後方の神社は蠶(こ)玉神社
蚕の女神様ですかね
こちらも御柱は四方を囲んでいます
蠶玉神社も大国主命社同様で諏訪大社の摂末社ではないようです
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蠶玉神社後方にも庚申塔、あっちこっちで見かけることができます
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鷲峰山法華寺、古くは天台宗の寺だったけれど鎌倉時代に当時の領主蓮仏入道盛重が中興し、建長寺蘭渓道隆を招いて臨済宗に改宗したといわれ、諏訪大社上社の神宮寺
その事を示す様に、山門と本堂の大棟には諏訪大社の神紋が飾られています

往時には七堂伽藍を誇る大きな寺として栄えた法華寺
信長の武田家滅亡の本陣として諏訪大社本宮を焼き払いに使わたり、神仏分離と廃仏毀釈で建物が払われたり、1999年(平成11)には火災で焼失するなど様々な出来事を見てきました

現在の本堂は焼失後に再建されたもの、現在は特徴のある赤い山門と本堂、寺務所と庫裏のみの伽藍
諏訪大社鳥居入口にありながら、ここを訪れる参拝客は意外に少ないようです
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 そんな山寺の趣のある法華寺ですが
「赤穂浪士」や「本能寺の変」につながるきっかけの舞台となった場所

1582年(天正10)、信玄の高遠城を攻め落とした織田勢は、その勢いのまま北上し諏訪大社上社本宮を焼き払った、その戦火から免れた法華寺は信長勢の本陣として、武田家滅亡後の論功行賞が行われた場とされます
信長はその場で明智光秀を叱責したとされ、面子を潰された光秀は本能寺の変を起こすきっかけとなったと伝えられています

赤穂浪士と法華寺のつながりはよく分からないけれど、吉良上野介の養子だった吉良義周は1702年(元禄15)の吉良邸討ち入りの当事者の1人とされ、領地を取り上げられここ高島藩に流されたそうです
義周は1706年(宝永3)に他界、その亡骸はここ法華寺に土葬されたとされます
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文殊、普賢菩薩、釈迦如来・・・・・原発?
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まだ前宮と本宮を参拝しただけですが、秋を感じるこの時期になると陽が陰るのは早いものです
夕陽の差し込む境内、大棟の神紋が輝いてきます
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吉良義周の亡骸はここに眠っています
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境内左の石碑群と大黒様を祀る小さな社
法華寺
住所 / 長野県諏訪市中州神宮寺856


石碑の左手には更に上に続く道があります
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短い坂道の先に墨繩神社の明神鳥居と社殿、その前に立つ御柱が見えています
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白い御柱が間近に近づいてきました
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墨繩とは聞きなれないかも知れません
これは大工さんが使う、線を引くための道具の事
墨の中に糸がまかれ、糸を引き出し摘み上げその糸を離せば、真っすぐな長い墨の直線を引くことができるもの
現在も使われる現役のアイテム、ここは名前の如く大工さんに縁のある神社
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 墨縄神社
住所 / 長野県諏訪市大字中洲神宮寺

更に上を目指します
すると視界は開け、傾斜地に平坦な一画が現れます
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 そこには鐘楼、神宮寺仁王門、五重塔などの跡が残ります
神宮寺伽藍は今はほぼ現存しません、現在残るのは「神宮寺」の地名のみ
この平地は現在マレットゴルフ場として地元で使われています
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 その南側の急斜面に登れとばかりに「信玄公墓碑」の看板が導いています
現在の根羽村で亡くなった信玄は、この地の諏訪湖に沈められたと云われます
その信玄の墓碑がこの斜面にあります、それも目立たない様にひっそりと小さな岩が置かれるのみ

ここまで登ると解説があるものと思っていたけれど、解説板はありませんでした
三つある石の左のものが「信玄公墓碑」となります
信玄の墓は諏訪湖含めて複数あり、どれが真実なのか気にはなりますが
そこを明らかにする必要はないものかも知れません
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「信玄公墓碑」から斜面をまっすぐに下っていくと墨縄神社の後方に出ます
後ろにも御柱ありますね
そこから下に続く石段を下りていくと東参道に戻る事ができます
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参道脇の案内図
法華寺のある右から左に横断し、下に下ったことになります
ここから一の鳥居のある右方向に行きたいところですが、相当かみさんを待たせています
駐車場に戻る事にします

それにしても信玄公墓碑の斜面は足にきました、一日で4社巡りの予定はタイトなようです
車中泊で決まりかな?

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